日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

【刀剣紹介】北野行平

北野行平 『享保名物帳』焼失之部所載の太刀、豊後国行平の作です。異名の「北野」は、もと京の北野天満宮の籠め物だったからかどうか、不明といいます。これの押形で『本阿弥光徳刀絵図』『本阿弥光柴押形』『長谷川忠右衛門押形』などに載っているのは、焼…

【刀剣紹介】岐阜国吉

岐阜国吉 『享保名物帳』焼失之部所載の名物、粟田口国吉の短刀です。初め浅野長政が所持していて、本阿弥光徳が五百貫の折紙をつけました。それを関白秀次に献上、秀次はそれを豊臣秀吉に贈りました。秀吉はそれを岐阜城主で、信長の嫡孫にあたる織田秀信に…

【刀剣紹介】北野藤四郎

北野藤四郎 『享保名物帳』追加之部所載の名物、京の粟田口吉光作の短刀です。これはもと京都の北野天満宮の籠め物だったので、北野藤四郎と名づけられました。もと織田信長の所蔵で、天正八年(一五八〇)二月二十二日、堺の津田宗及が京都に行ったとき、拝見…

【刀剣紹介】木下正宗

木下正宗 徳川将軍家旧蔵の太刀です。豊臣秀吉が徳川秀忠に与えたというが、その後の移動は不明です。大坂の筒崎屋惣右衛門という商家が罪をえて、取り潰しになったとき、闕所品として没収、天保七年(一八三六)十月二十五日、将軍家の所蔵となりました。五千…

【刀剣紹介】狐切り貞宗

狐切り貞宗 出羽国山形城主・松平下総守忠弘が、元禄五年(一六九二)十二月二十八日、将軍に献上した短刀です。忠弘が老後、病をえて江戸に定住すると、本国の白河では家臣が二派にわかれて抗争したため、白河から山形に転封、五万石減封のうえ、閉門を仰せつ…

【刀剣紹介】菊池槍

菊池槍 肥後の延寿鍛治が作った片刃の槍です。菊池千本槍ともいいます。多くの士卒に持たせたからです。その起原については、『肥後国志』にいつの時代に作り始めたか、不明とあり、平野五岳の千本槍歌にも、「臣菊池某、此ノ槍ヲ造ル」とぼかしてあるが、明…

【刀剣紹介】紀伊国片桐正宗

紀伊国片桐正宗 『享保名物帳』焼失の部に収載された相州正宗作の短刀です。単に紀伊正宗・片桐正宗ともいいます。紀州和歌山城主・浅野長政の家臣所持でした。それを長政が召しあげ、埋忠寿斎に金具を作らせ、徳川家康に献上しました。家康はそれを大坂方の…

【刀剣紹介】上部・桑山当麻

上部・桑山当麻 『享保名物帳』所載の短刀です。もと江州大津にあったものを、大和で二万六千三百八十石を領していた桑山伊賀守元晴が求めました。桑山家は嗣子・貞晴が寛永六年(一六二九)早世のため、封地を没収されたので、これも手放さざるを得なかったの…

【刀剣紹介】鉋切り長光

鉋切り長光 『享保名物帳』所載の太刀です。もとの持主・又五郎は江州堅田の住人とも、また堅田は姓ともいいます。又五郎が江州伊吹山の麓を、顔見知りの大工と連れ立って歩いていると、その大工がにわかに恐ろしい形相に変わり、又五郎に襲いかかろうとしま…

【刀剣紹介】寒暈刀

寒暈刀 肥前平戸城主・松浦家の蔵刀です。もと同族・松浦将監信純の枕刀です。寛永十六年(一六三九)八月のある夜、夢中に何か顔にさわるので、枕刀で押し退けること四回に及びました。翌朝、刀を見ると物を切った痕があり、そこらには奇妙な足跡が残っていた…

【刀剣紹介】河合正宗

河合正宗 土佐藩主・山内家伝の相州正宗の刀です。もと土佐藩士・河村某所蔵だったので、山内家では「河村正宗」と呼んでいたのを、民間に出てから河合正宗と誤伝し、伊賀越えの仇討ちに付会されました。 山内容堂が明治二、三年ごろ、酒宴の席上、この刀は…

【刀剣紹介】甕割り一文字

甕割り一文字 伊東一刀斎景久が、御子神典膳(のち小野次郎右衛門忠明)に伝えた備前一文字の太刀です。瓶割りとも書きます。これを割り下坂とするのは誤りです。異名の由来については二説あります。 1.三島神社説 典膳はまだ伊豆の三島神社の床下で、浮浪生活…

【刀剣紹介】蝦墓丸

蝦墓丸 新免弁助信盛の差料です。信盛は、二天流二世・寺尾信行の四男です。二天流の奥旨を極めたので、父から宮本武蔵の本姓・新免を名乗ることを許されたほどの達人です。八久保(熊本県菊池郡西合志町)にある寺尾家の耕地に、夜な夜な怪獣が出て、農作物を…

【刀剣紹介】鐘切り

鐘切り 1.武蔵坊弁慶の太刀です。平安城有国の作です。 2.小多喜権兵衛の差料です。権兵衛は江戸初期、江戸の小田原町(中央区)にあった男伊達・小多喜組に属し、元来は商人です。その差料「鐘切り」は、濃州関の兼則の作です。これを兼乗とするのは誤りです…

【刀剣紹介】加藤国広

加藤国広 加藤清正の娘・瑞林院が元和三年(一六一七)、紀州頼宣に輿入れのさい、持参した堀川国広の刀です。 刃長二尺二寸九分(約六九・四センチ)、身幅の広い豪壮な姿で、大きく彎れた大五の目乱れをやく。「国広」と二字銘。 吉宗が紀州家から入って八代将…

【刀剣紹介】御賀丸

御賀丸 禁裏御物の太刀の名です。応仁二年(一四六八)三月二十日の丹州合戦のさい、敵将を敗死させた太田垣新兵衛の殊勲を賞して、山名宗全はかって将軍義満より拝領した御賀丸を、具足にそえて与えました。これとおそらく同一物であろうが、元和九年(一六二…

【刀剣紹介】織田七兵衛

織田七兵衛 濃州関の兼常作の脇差に、「織田七兵衛所持」と所持銘があります。七兵衛とは織田信長の弟・信行の子で、江州大溝城主だった津田信澄のことです。天正十年(一五八二)、織田信孝に従い、紀州鷺森の本願寺を攻撃中、本能寺の変が起こりました。信澄…

【刀剣紹介】岡田斬り吉房

岡田斬り吉房 織田信雄が岡田長門守重孝を斬った刀です。信雄の老臣、津川義冬・浅井長時らと図って、信雄を殺し、徳川家康に加担しよう、とした容疑により、天正十二年(一五八五)三月六日、信雄の居城・長島城によばれ、重孝が鉄砲を拝見しているところに、…

【刀剣紹介】大童子

大童子 赤松家の重宝、備前助平作の太刀です。赤松義則は「三尺入道」と綽名されたほどの小男だったが、当時、京都市中を馬で乗りまわし、手当たり次第に人を切り殺す暴漢がいました。髪をふり乱して、童子の格好をしていたので、世人は「大わっぱ」と呼んで…

【刀剣紹介】大行平

大行平 『享保名物帳』焼失之部所載です。ただし、本刀を載せない『名物帳』もあります。もとはおそらく、室町将軍家蔵だったのを、松永久秀が奪ったのでしょう。久秀のもとにある時分、本阿弥光心がとった押形によれば、佩き表に不動明王の梵字、裏に剣巻き…

【刀剣紹介】大森藤四郎

大森藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載の短刀です。もと京都の商人・大森宗屋所持でした。宗屋は江戸初頭、尺八の名人として知られた大森宗勲の一族でしょう。大坂の役の功を賞してであろう、徳川家康から福島正則が、長義の刀とともに拝領しました。正則が…

【刀剣紹介】大波国俊

大波国俊 木村重成の佩刀です。重成の姉婿・猪飼野左馬之助に送った元和元年(一六一五)四月六日付の手紙によれば、重成が十三歳で元服したとき、徳川家康がその祝いに、本田忠勝に持たせてやったもので、無銘ながら来国俊とされているものでした。討死の覚悟…

【刀剣紹介】大相馬兼光

大相馬兼光 『享保名物帳』所載の太刀です。長大なため一名「大兼光」ともいいます。元和(一六一五)のころ、相州小田原城主・大久保家の家臣に、相馬長四郎という者がいました。これの先祖・七郎左衛門旧蔵だったので、相馬兼光、特に長大なため、「大兼光」…

【刀剣紹介】大郷

大郷 1.相州住吉弘の異名です。むかし地元では、吉弘を郷義弘の父と考えていたので、大郷と呼びました。 2.『享保名物帳』焼失之部所載の太刀です。大江とも書きます。もと河内の守護代・遊佐家蔵だったので、遊佐大郷とよばれていました。のち摂津伊丹城主…

【刀剣紹介】大国吉

大国吉 1.『享保名物帳』焼失之部所載です。刃長が一尺二寸二分(約三七・〇センチ)と長いので、「大国吉」と名づけられたものです。豊臣秀吉の所蔵だったので、『本阿弥光徳刀絵図』に押形が出ています。 平造りで、表裏に護摩箸あり、刃文は直刃。中心は区…

【刀剣紹介】大国綱

大国綱 『享保名物帳』焼失之部所載です。一名、光鬼ともいいます。初め播磨の守護・赤松満祐の所持でしたが、嘉吉元年(一四四二)六月、将軍義教を殺した事件で、一族が自尽して果てたので、将軍家の有に帰しました。その後の消息は不明ですが、おそらく足利…

【刀剣紹介】大内正宗

大内正宗 旧所持者については、大内苗字の人としたも のや、大内義隆か、と推測したものがあるが、要するに判然としません。それを堺の商人・柏屋宗悦が持っていたので、前田利家が金九枚で買い取って、関白秀次に献上しました。本刀を木村常陸介が拝領して…

【刀剣紹介】馬斬り正房

馬斬り正房 薩州伊豆守正房作刀の異名です。 刃長二尺七寸七分(約八三・九センチ)、反り四分五厘(約一・四センチ)、小杢目の詰まった地肌に、沸え出来の直刃をやく。 もと島津家蔵で、無銘でしたが、島津斉彬が嘉永五年(一八五二)、七代正房に命じ、「伊豆守…

【刀剣紹介】宇佐美長光

宇佐美長光 伊達家伝来の太刀です。畠山政長が、河内国金胎寺城にたてこもった畠山義就を攻めていた際、越後国琵琶城主・宇佐美左衛門尉政豊も寄手のうちにありました。寛正三年(一四六二)、落城も間近に迫ったある日、政豊は先頭に進んで、目覚ましい働きを…

【刀剣紹介】石灯籠切り虎徹

石灯籠切り虎徹 「石燈籠切」と試し銘の入った長曽祢虎徹の刀です。五千五百石の旗本・久貝因幡守が、注文しておいた一刀ができ上がり、虎徹が持参すると、当時の流行とはいえ無反りなので、因幡守が思わず、これで切れるかのう? と呟きました。では、切れ味…