日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

【刀剣紹介】小駒切り

小駒切り 鍋島勝茂所特、郷義弘の太刀です。勝茂が天正十七年(一五八九)十歳で、肥前国神埼郡城原の勢福寺城主・江上家種の養子になったとき、婿引き出として江上家重代のこの太刀を、勝茂に与えました。勝茂は慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の役のとき、初めは…

【刀剣紹介】佐々木国行

佐々木国行 江州佐々木家重代、来国行の短刀の異名です。観音寺城主・佐々木義賢は元亀元年(一五七〇)八月、織田信長に降伏しています。そのとき信長に献じたのでしょう。堺の天王寺屋・津田宗及が天正八年(一五八〇)二月二十二日、京都において大小取り交ぜ…

【刀剣紹介】こぶ屋藤四郎

こぶ屋藤四郎 千利休が切腹に用いた粟田口吉光の短刀です。もと加州金沢の商人こぶ屋所蔵でした。 刃長八寸二分五厘(約二五・〇センチ)、表裏に刀樋をかき流す。小杢目肌の地鉄に直刃を焼く。「吉光」と二字在銘。拵えは利休が本阿弥光徳に作らせたもの。赤…

【刀剣紹介】小乱れ藤四郎

小乱れ藤四郎 『享保名物帳』追記の部所載、粟田口吉光の短刀です。豊臣家の所蔵、大坂落城のさい焼失したのであろう、所在不明です。ただし本阿弥光徳のとった押形があります。 刃長七寸二分五厘(約二二・〇センチ)、平造り、浅い五の目乱れをやく。鋩子は…

【刀剣紹介】駒井藤四郎

駒井藤四郎 『享保名物帳』星野求与本の追記の部所載の短刀です。粟田口吉光の作です。駒井は豊臣秀吉に仕え、三万六千三百石を領していた駒井中務少輔重勝でしょう。重勝は関ヶ原の役で西軍に加わったため、領地を没収されました。それで愛刀吉光を手放した…

【刀剣紹介】御鬢所行平

御鬢所行平 『享保名物帳』焼失之部所載、豊後行平の太刀です。豊臣秀吉が理髪や着換えをした御鬢所に、備えつけの太刀です。ただし『豊臣家御腰物帳』には、二之箱に収納とあります。大坂落城のさい焼失しました。ただし『本弥光徳刀絵図』に押形所載されて…

【刀剣紹介】小屏風長刀

小屏風長刀 静御前の薙刀として、豊後の大友家の重宝です。土佐坊昌俊が源頼朝の命により、文治元年(一一八五)十月十七日、源義経を京都堀川の館に襲ったとき、静御前がこれを揮って、敵を退けたと伝えられるものです。義経は再襲撃をおそれ、堀川館にいた豊…

【刀剣紹介】小林国行

小林国行 小林上野守の佩刀、来国行の作です。明徳二年(一三九一)十二月三十日、京都の内野の合戦で、小林上野守(修理亮重長)は、これで、大内左京大夫義弘の左手を二か所斬ったが、逆に薙刀を内かぶとに突っ込まれ、さらに片股斬り落とされ討死にしました。…

【刀剣紹介】小子柏

小子柏 『本阿弥光悦押形』所載、大和手掻包永の太刀です。小子柏は児手柏と同義であろうが、『享保名物帳』の児手柏包永とは同名異物です。 佩き表は五の目乱れで、鎬を越す大乱れがまじり、一枚風に返りが長く、かつ刃中に飛び焼きが大小二個ある。裏は直…

【刀剣紹介】小螺丸

小螺丸 越中宇多友次作の太刀の異名です。異名はおそらく柄の目貫が螺貝の図だったのに因んだものでしょう。 北海道松前の藩主になった松前慶広は、もと蛎崎姓を名乗り、羽州檜山(秋田県能代市)にいて、安東愛季に仕えていました。政敵だった比内(秋田県北秋…

【刀剣紹介】小伝多

小伝多 筑後三池の光世の作です。 刃長二尺三分(約六二・五センチ)の小太刀であるため、二尺一寸七分(約六五・八センチ)の「大伝多」と対比し、「小伝多」とよぶ。表裏に太い棒樋と添え樋をかく。刃文は直刃で、ところどころ、五の目がかった浅い乱れがまじ…

【刀剣紹介】釬切り景依

釬切り景依 筑後国久留米城主・有馬家伝来、古備前景依の太刀です。 刃長二尺六寸三分五厘(約七九・八センチ)、地鉄は板目肌に地沸えつき、映りもでる。刃文は小乱れ小丁子まじり、砂流しかかる。鋩子は小丸、わずかに返る。中心はうぶ、大きく「景依」と二…

【刀剣紹介】小反り兼光

小反り兼光 上杉謙信愛刀の一つです。上杉景勝三十五腰の一つです。武田家の安間彦六を斃したとの伝説は誤伝です。 刃長二尺四寸四分(約七三・九センチ)。銘に「備前国長船住 享禄二年己丑年兼光作 永禄七年甲子年正月十一日 藤原輝虎三寸上之」とある。享禄…

【刀剣紹介】小尻通し新藤五

小尻通し新藤五 『享保名物帳』焼失之部所載の脇差です。もと大坂城にあって「一之箱」に入れてあったほど重宝視されていました。おそらく関東管領・足利家重代の「鐺通し」と同一物でしょう。本阿弥光徳が採ったこれの押形を、埋忠寿斎が元和元年(一六一五)…

【刀剣紹介】克明刀

克明刀 江戸の小笠原長旨作刀の号です。 刃長二尺一寸(約六三・六センチ)。「小笠原庄斎入道長旨 以鉄丸錬之 大袈裟大脇毛二刃切平土迄 山野氏弟子大沢新助斬之 是昌(花押)。克明刀 誠透金石 威厳霜雪 義気凛然 忠心明徹 林整宇銘(花押)」と在銘。克明刀は勝…

【刀剣紹介】小国行

小国行 『享保名物帳』焼失之部所載の太刀です。もと豊臣家の蔵刀で、二之箱に入れてありました。「小」国行というのは、同家には「新身国行」のような、もっと長い来国行の太刀があったので、それに対比しての称呼でしょう。 刃長は二尺五寸(約七五・八セン…

【刀剣紹介】小吉江

小吉江 『享保名物帳』追記之部にある刀です。長さ不詳。小吉は岐阜中納言、つまり織田信長の孫・秀信の童名といいます。しかし秀信の童名は三法師です。その弟の秀則が「吉」と呼ばれていたから、秀則の誤りでしょう。秀則は侍従になったが、剃髪したので伝…

【刀剣紹介】小包平

小包平 古備前包平の作です。 刃長二尺九寸四分(約八九・一センチ)の「大包平」と対比し、一尺八寸四分(約五五・八センチ)、または二尺一寸五分(約六五・一センチ)と短いため、「小包平」とよばれた。もと泉州堺の豪商・樋口屋の所蔵。刃文は浅い大彎れ刃。…

【刀剣紹介】小鍛治薙刀

小鍛治薙刀 京の三条小鍛冶宗近の作った薙刀です。 1.徳川将軍家の小薙刀 源義経の安・静御前所持といわれもので、作者を小鍛治宗親としたものもあるが、それは小鍛冶宗近の誤記と見るべきでしょう。三代将軍家光がそれでもって雁を、えいっと横に払ったとこ…

【刀剣紹介】降伏兼光

降伏兼光 美濃国郡上の豪族・東常縁家重代の脇差です。かつては刀剣の大家・木本宗剛が秘蔵、永正(一五〇四)ごろは、美濃の部将・斎藤基泰所持でした。 刃長一尺二分(約三〇・九センチ)、差し裏に、降り竜が玉を呑む彫物があった。銘は差し表に「備州長船兼…

【刀剣紹介】香西長光

香西長光 『享保名物帳』所載の刀です。これはもと香西又六元長所持でした。元長は細川政元の部将で、政元には実子がなく、澄之・澄元という二人の養子がありました。澄元が政元の寵愛をうけ、かつ三好長輝の補佐をえて優勢なのに対抗して、香西元長は澄之を…

【刀剣紹介】江雪正宗

江雪正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗の刀です。「江雪左文字」と同じく、岡野江雪斎の旧蔵です。江雪斎が直接、徳川家康に献上したものでしょう。家康はこれを帯びて、関ヶ原・大坂の両役に出陣しました。寛永九年(一六三二)正月二十三日、二代将…

【刀剣紹介】上野郷

上野江 『享保名物帳』 焼失之部所載、郷義弘の刀です。宇都宮城主・本多上野介正純の旧蔵だったので、「上野江」とよびます。正純が元和八年(一六二二)十月、将軍秀忠の勘気をこうむり改易になったとき、闕所道具として幕府に没収され、将軍家蔵となりまし…

【刀剣紹介】幸寿丸

幸寿丸 摂津国河辺郡多田庄、現在の兵庫県宝塚市石切山麓の満願寺蔵の宝刀です。幸寿丸は新歌舞伎十八番の『仲光』、つまり『二代源氏誉身替』(河竹黙阿弥作)に出てくる藤原仲光の子です。多田満仲は八男・美女丸を仲山寺に入れたが、仏道修行をしないので怒…

【刀剣紹介】小池志津

小池志津 水戸徳川家の蔵刀です。同藩士の小池治太衛門政春が江戸の日暮里に行く途中、賊数人に囲まれました。政春は腰の志津を抜いて、賊三人を斬り一人に負傷させました。斬れ味が素晴らしいので、父の政永に贈りました。政永も数回試してみたが、業物に間…

【刀剣紹介】黒ん坊斬り景秀

黒ん坊斬り景秀 伊達政宗の愛刀です。もと伊達家の重臣石川家の伝来しました。政宗がこれを帯びて朝鮮へ遠征したさい、加藤清正がこれでもって牛ほどもある大男を試し斬りしたところ、土壇まで五、六寸(約一五・二~一八・二センチ)も切り込んだほど、大物切…

【刀剣紹介】黒田正宗

黒田正宗 『享保名物帳』焼失之部所載の短刀です。初め筑前福岡城主・黒田忠之入道宗英所持でした。ただし黒田家の家老所持という異説もあります。忠之がこれを駿河大納言忠長へ贈ると、忠長はさらに将軍家光に献上しました。家康へ献上という説は誤りです。…

【刀剣紹介】車屋藤四郎

車屋藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載の短刀です。謡曲『車屋本』の編集者・車屋道悦の一族である車屋宗瑞旧蔵でした。のち筑後久留米城主・有馬家の所蔵となりました。有馬忠頼の遺物として、明暦元年(一六五五)七月、正宗の刀と吉光の脇差を将軍に献上し…

【刀剣紹介】蜘蛛切り丸

蜘蛛切り丸 1.熱田神宮の亀王吉光の剣です。蜘蛛切り丸といい、刃長一尺七寸(約五一・五センチ)、刀身の中ほどに巴紋の金象嵌があります。無銘です。刃長については一尺七寸三分(約五三・〇センチ)ともいいます。亀王吉光というのは、中心の差し裏に「亀王丸…

【刀剣紹介】京極正宗

京極正宗 讃州丸亀城主・京極家伝来の短刀です。同家中興の祖・若狭守高次は豊臣秀吉の側室・松丸の兄で、この正宗も秀吉より拝領といいます。しかし秀吉の形見として高次に贈られた樋口正宗と、おそらく同一物でしょう。樋口はヒノクチとよむのが正しいです…