日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

【刀剣紹介】むき物安吉

むき物安吉 薩州島津家伝来です。 刃長九寸三分(約二八・二センチ)、「安吉」と在銘。もと藩主のお側に置いてあったもの。異名の意味は不詳。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】麦作り

麦作り 古備前恒則の刀の異名です。源頼朝が治承四年(一一八〇)、兵をあげた時、佐々木秀義の六男・吉田厳秀は、まだ少年だったが、相州足柄郡土肥郷の相山において、頼朝の軍に加わりました。それを賞して、頼朝が与えたものです。あるいは菱作りの誤写かも…

【刀剣紹介】蜈蚣槍

蜈蚣槍 旗本の水野十郎左衛門家伝来の槍の異名です。濃州関の兼光作の大身槍です。十郎左衛門成之の弟・又八郎忠丘家の所伝によれば、幡随院長兵衛は水野家の風呂に入るときも、刀を浴室に持ちこみ、床に敷いてあった酒弧の下にかくしました。 それをのぞき…

【刀剣紹介】三好正宗

三好正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗在銘の短刀です。越後国刈羽郡三島郷(新潟県柏崎市)の郷士・三島典膳が、わざわざ相州鎌倉に行って造らせたもの、という話があるが、これは後世の創作です。三好長慶が本阿弥光利の取り次ぎで、金十六枚で入手…

【刀剣紹介】向井青江

向井青江 江戸幕府の船奉行・向井家伝来の備中青江の刀です。天正十一年(一五八三)、北条方の城攻めのさい、向井兵庫頭正綱は、北条方の鈴木弾次郎と刀をまじえ、上顎から下歯にかけて、見事に切り落としました。家康もその刀を見て、切れ味に驚きました。そ…

【刀剣紹介】三好江

三好江 1.『享保名物帳』焼失之部所載、越中の郷義弘極めの太刀です。三好長慶旧蔵といいます。三好重代の郷義弘の太刀は、刃長二尺六寸五分(約八〇・三センチ)ありました。三好郷はこれを磨り上げたものでしょう。 豊臣秀吉が天正十三年(一五八五)、紀州名…

【刀剣紹介】乱れ髪一文字

乱れ髪一文字 安芸の厳島神社の宝刀です。 刃長一尺五寸四分(約四六・七センチ)、菖蒲造り、無銘。戦国期の小さ刀拵え付き。柄は金の打ち出し較、目貫は金無垢の竜、柄糸は茶色で平巻き、頭は角、縁は赤銅で樋形、鎺は一重の金で縦筋入る。栗形と返り角も金…

【刀剣紹介】三寅丸

三寅丸 菅恒の刀の異名です。万寿三年(一〇二六)作の太刀の銘に、「寅年寅日寅時三月三日 菅恒」とありました。源頼朝が伊豆国田中(静岡県田方郡大仁町)において、伊豆山権現(熱海市伊豆山)から授けられたといいます。菅恒の住地については、山城・丹波とも…

【刀剣紹介】翠丸

翠丸 備前兼光作の太刀の異名です。越後国三島郡長峰山(新潟県長岡市長峰町)の城主・新田氏の一族に伝来したものが、同郡富岡村(長岡市富岡町)の遠藤孫兵衛の祖先の手に渡りました。それを宝暦十二年(一七六二)、長岡藩主の牧野家が金百両で召し上げ、褒美と…

【刀剣紹介】蓑丸兼光

蓑丸兼光 征西将軍・懐良親王の佩刀、という伝説の太刀です。九州の旧家に伝来していた時分は、蓑に包んで家の棟木にくくり付けてあった、というので、蓑丸の号がつけられました。古い山金の太刀拵え付きです。 刃長二尺八寸(約八四・九センチ)くらい、刃文…

【刀剣紹介】美濃屋正宗

美濃屋正宗 紀州徳川家伝来、無銘相州正宗極め、刃長一尺六分(約三二・一センチ)、平造り、地鉄よく詰まり、大肌まじる。刃文は小沸えつき、匂い深く、砂流しかかり、金筋も入る。 もと伊予西条城主・松平頼淳の長女、鑑姫所持でした。鑑姫は寛政(一七八九)…

【刀剣紹介】水田長光

水田長光 筑後柳川城主・立花宗茂の旧蔵刀の異名です。征韓の役のさい、家臣の風斗就澄が敵兵を五人斬り、六人目に刀が折れました。それでも脇差をもって敵を倒しました。宗茂はそれを賞して、水田長光を与えました。その後、海戦のさい、水田長光をもって敵…

【刀剣紹介】微塵丸

微塵丸 曽我十郎祐成が仇討ちのときの佩刀です。建久四年(一一九三)五月、暇乞いのため箱根権現の別当、行実を訪ねたとき、行実が餞別として十郎に贈ったものです。十郎の討死後、源頼朝はこれを箱根権現に、再び寄進したものといい、刃長三尺三寸(約一〇〇…

【刀剣紹介】三浦来国光

三浦来国光 駿河御分物として尾州徳川家へ分与された脇差です。拵え付き、金五枚の折紙がつきます。本多上野介正純が徳川家康に献上したもので、刀号の三浦は、下総(千葉県)佐倉城主だった三浦監物重成のことでしょう。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】三日月一文字

三日月一文字 備前一文字の太刀です。寛正四年(一四六三)三月、細川成之らの軍勢が、将軍義政に追われた畠山義就の立てこもった、河内国錦部郡(大阪府南河内郡)の嶽山城を攻め落とした時、将軍義政は賞として、これを成之に与えました。成之はのちこれを将軍…

【刀剣紹介】見返り元重

見返り元重 備前長船元重作の刀です。 刃長二尺三寸一分五厘(約七一・一センチ)。直刃に小乱れまじりの刃文。中心に折り返し銘で、「備前国長船住元重」とあり、裏に「見返 昔某氏斬人某人顧而為二依名之 元禄二已夏熊本侯所贈於養世公今茲明治元辰秋授臣菅…

【刀剣紹介】松倉江

松倉江 越中国松倉住郷義弘作の刀の異名、と見られる場合もあるが、本来は松倉住人郷ノ義弘という意味です。江と郷とを通じ用いります。松倉郷と書けば、越中国新川郡の地名のようであるが、松倉という郷はありませんでした。織田信長は永禄三年(一五六〇)、…

【刀剣紹介】松浦川

松浦川 刀号です。 刃長一尺二寸一分(約三六・七センチ)。表裏に棒樋。板目肌に柾目まじりの地鉄に、小彎れ刃を焼き、地に二重刃風に、沸えの縦筋走る。鋩子は掃きかけ焼き詰め。中心はうぶで、差し表に「阿州泰吉作」、裏に「永正十四年十一月三日(金象嵌)…

【刀剣紹介】松川兼氏

松川兼氏 美濃 (岐阜県)の志津三郎兼氏作、二尺三寸一分(約七〇・〇センチ)強の太刀の異名です。上杉家の重臣で、能州(石川県)七尾城主・松川大隅守家伝来しました。 豪壮な剣形で、板目肌に地沸えつき、沸え出来の彎れ乱れ刃を焼く。中心は目釘孔二個、中心…

【刀剣紹介】末期行光

末期行光 織田信忠が天正十年(一五八二)六月二日、二条城で討死する前、わずか三歳の長子・三法師丸(秀勝)を、前田玄以に託して、岐阜へのがす時、信忠が三法師丸へ与えた、という短刀です。無銘の加州行光の作です。 平造りで、差し表に櫃内の剣巻き竜、裏…

【刀剣紹介】松浦国行

松浦国行 駿河御分物として、尾州徳川家へ分与された太刀です。加藤清正が徳川家康に献上したものです。拵え付き、金二十五枚の折紙つきます。国行は来派か当麻派か不明です。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】万歳楽

万歳楽 勢州亀山藩主・石川家伝来、一尺八寸二分(約五五・二センチ)の脇差の銘として、「萬歳楽」と金象嵌を入れた下に、「長谷部国重 応安元年六月日」と切ります。石川家を出たあと、昭和十二年、重要美術品に指定されました。 万歳楽とは雅楽の一種で、賀…

【刀剣紹介】卍信国

卍信国 卍を刀身に彫った京の信国の剣です。 刃長一尺三寸八分五厘(約四二・〇センチ)、鎬の上に樋をかく。表の樋はほぼ中央部で切れ、そこに卍を彫る。地鉄は板目肌で、刃縁は紐がかる。地沸えつく。刃文は直刃に小乱れまじり、砂流し・金筋走る。鋩子は小…

【刀剣紹介】松古葉

松古葉 刀の異名です。土浦藩士・鈴木家蔵の刀で、差し表に「備前国住与三左衛門尉祐定 五郎左衛門尉清光」、裏に「進上谷光信殿 松古葉 大永六年八月吉日」と切ります。松の古葉が触れるとすぐ落ちることを、この刀で触れると、胴がすぐ落ちることにかけた…

【刀剣紹介】松浦信国

松浦信国 『享保名物帳』追記の部所載、尾州徳川家蔵です。これの説明に、「足を上り竜とも云、脇差の由、光律被申」とあります。これは本阿弥長根が、元文二年(一七三七)没の本阿弥光律の記録を見て書いたものです。光律は『享保名物帳』編集当時、生存して…

【刀剣紹介】舛屋江

舛屋江 『享保名物帳』焼失之部所載、越中郷義弘極めの刀です。増屋江とも書きます。もと京都小川通りの舛屋了二所持でした。宇喜多秀家が豊臣秀吉へ献上しました。埋忠明寿・寿斎に命じて、刃長二尺一寸一分(約六四・〇セン チ)、または二尺一寸一分五厘(約…

【刀剣紹介】増田来国次

増田来国次 『享保名物帳』焼失之部所載、来国次作の短刀です。もと豊臣秀次所持でした。秀次の 生存中か、自害後か、不明であるが、文禄(一五九二)年中、研師の木屋が入手して、豊臣秀吉へ金八枚で売りました。 秀吉が逝去後、遺物として、大和郡山城主・増…

【刀剣紹介】彫り貫き盛光

彫り貫き盛光 剣巻き竜の透し彫りのある備前長船盛光の脇差です。もと備中国の吉備津神社の宝物だったのを、天正十年(一五八二)、備中高松城攻めに加わっていた木村常陸介が申しうけ、普段指しにしていました。その後、豊臣秀吉の手に入ったが、金十枚で買い…

【刀剣紹介】骨喰み

骨喰み 古名刀の異名です。骨食・骨塚・骨喰丸・骨噛みとも書きます。骨喰みの語源については、戯れに切るまねをしても、相手の骨が砕けてしまうからとも、相手が骨にしみるように感じるからとも、刀で切られると、骨を縫い綴ったように痛みを訴えるからとも…

【刀剣紹介】骨不知

骨不知 相州貞宗作の脇差の異名です。肥後熊本城主・細川忠利が、寛永十五年(一六三八)正月十二日、島原の乱の援軍として出陣すべし、という命令を将軍家光より受けたとき、家光より拝領したものです。忠利の孫・綱利は慶安四年(一六五一)六月二十七日、襲封…