日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

長光

【刀剣紹介】水田長光

水田長光 筑後柳川城主・立花宗茂の旧蔵刀の異名です。征韓の役のさい、家臣の風斗就澄が敵兵を五人斬り、六人目に刀が折れました。それでも脇差をもって敵を倒しました。宗茂はそれを賞して、水田長光を与えました。その後、海戦のさい、水田長光をもって敵…

【刀剣紹介】にっかり長光

にっかり長光 刀の異名です。備前岡山城主・宇喜多秀家の足軽が、夜道を歩いていると、火炎を背におった仏様が、にっこり笑いながら近づいてきました。化物と直感した足軽は、備前長光の一刀を抜いて、切りつけました。翌日そこに行ってみると、路傍の石の不…

【刀剣紹介】日光長光

日光長光 備前長船の二代長光の別称です。遠州浜松城主・堀尾忠氏は、慶長五年(一六〇〇)七 月、上杉討伐に向かう徳川家康に従い、野州小山にあったとき、妹の婿に家康の近臣を賜りたい、と願いでました。家康は相州小田原城主・大久保忠隣の次男・忠紀を指…

【刀剣紹介】千引長光

千引長光 備前長光の刀の異名です。島津藩主・島津家久が慶長四年(一五九九)正月九日、泗川の戦の功により、正四位下少将に任じられたとき、徳川家康が家久に贈った刀です。もと織田信長の三男・三七郎信孝の愛刀で、中心に「三七郎」と切りつけてありました…

【刀剣紹介】高瀬長光

高瀬長光 上杉景勝愛蔵三十五腰の一です。 刃長二尺四二分(約七三・六センチ)、刃文は丁子乱れ、物打ちは小模様になる。銘は「長船長光 文永十一年十月廿五日」とある。古い黒鞘の打ち刀拵えがあり、鞘の鯉口に「日光」と墨書がある。 したがって『享保名物…

【刀剣紹介】神保長光

神保長光 六千石の旗本・神保家伝来です。明治維新後、同家より取り出したものを福地源一郎入手、糸巻き太刀拵えをつけました。それから福住英勇・坂本金弥・細野次郎へ渡ります。細野家売立のさい、小泉策太郎が八百円で落札したが、当時、神保長光を訛って…

【刀剣紹介】三所権現長光

三所権現長光 銘に「熊野三所権現 長光」とある備前長船長光の太刀です。 刃長二尺四寸八分(約七五・二センチ)、地鉄小板目に映り鮮やか。刃文は丁子乱れ。鋩子小丸。切先より六寸(約一八・二センチ)ほど下の棟に、切り込みがある。もと熊野別当の子孫・九鬼…

【刀剣紹介】香西長光

香西長光 『享保名物帳』所載の刀です。これはもと香西又六元長所持でした。元長は細川政元の部将で、政元には実子がなく、澄之・澄元という二人の養子がありました。澄元が政元の寵愛をうけ、かつ三好長輝の補佐をえて優勢なのに対抗して、香西元長は澄之を…

【刀剣紹介】鉋切り長光

鉋切り長光 『享保名物帳』所載の太刀です。もとの持主・又五郎は江州堅田の住人とも、また堅田は姓ともいいます。又五郎が江州伊吹山の麓を、顔見知りの大工と連れ立って歩いていると、その大工がにわかに恐ろしい形相に変わり、又五郎に襲いかかろうとしま…

【刀剣紹介】宇佐美長光

宇佐美長光 伊達家伝来の太刀です。畠山政長が、河内国金胎寺城にたてこもった畠山義就を攻めていた際、越後国琵琶城主・宇佐美左衛門尉政豊も寄手のうちにありました。寛正三年(一四六二)、落城も間近に迫ったある日、政豊は先頭に進んで、目覚ましい働きを…

【刀剣紹介】津田遠江長光

津田遠江長光 『享保名物帳』所載、備前長光の太刀です。古くは単に「遠江長光」といいます。初め織田信長所持でした。天正十年(一五八二)、本能寺の変のさい、明智光秀が奪い、本刀を津田重久に与えました。重久は山崎の合戦で破れ、高野山へ逃げていたが…

【刀剣紹介】蜂屋長光

蜂屋長光 『享保名物帳』所載、備前長光作の小太刀です。もと蜂屋某というあぶれ者所持といいます。豊臣秀吉時代というから、蜂屋大膳大夫・その子五郎助・市左衛門らのうちの誰かでしょう。秀吉はこれを一時、枕刀にしていたが、のち側室の松丸殿へ与えまし…

【刀剣紹介】青屋長光

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…