日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】向井青江

向井青江

江戸幕府の船奉行・向井家伝来の備中青江の刀です。天正十一年(一五八三)、北条方の城攻めのさい、向井兵庫頭正綱は、北条方の鈴木弾次郎と刀をまじえ、上顎から下歯にかけて、見事に切り落としました。家康もその刀を見て、切れ味に驚きました。その後また見たい、と言ったが、すでに手放していました。その旨を白状したところ、家康が米二百俵で買いもどしてくれました。

大坂城攻めが始まろうとする時、その刀の話を聞いていた某が所望したが、正綱の子・将監忠勝は承知しませんでした。忠勝が軍船調達に、摂州尼崎に先行した留守中に、向井家に行って、その刀を借り出しました。大坂で甲首を割ったが、刃もひけませんでした。凱旋すると、厚く礼をのべて、将監に返しました。

ある時、一人の侍が玄関に駆け込んできたので、何者で、と咎めると、その侍が刀の柄に手をかけました。将監が裂裟掛けに斬りつけると、手をかけた柄もろとも、真二つにしました。また、将軍お成りの時、石場の間に侍が隠れているのを見つけ、抜きうちに切りつけると、石の角を五寸(約一五・二センチ)ほど切り割るとともに、その侍を仕留めました。

その刀を譲りうけた嗣子・忠宗が船中で、番衆たちから、その刀の切れ味を見せてくれ、と言われました。近くにあった平田舟に、八寸(約二四・二センチ)ばかりの釘が打ってありました。それに切りつけたところ、頭のほう三寸(約九・一センチ)ほど切り落としたが、刃は何ともありませんでした。

参考文献:日本刀大百科事典