2018-10-25 【刀剣紹介】骨不知 刀剣紹介 脇差 貞宗 骨不知 相州貞宗作の脇差の異名です。肥後熊本城主・細川忠利が、寛永十五年(一六三八)正月十二日、島原の乱の援軍として出陣すべし、という命令を将軍家光より受けたとき、家光より拝領したものです。忠利の孫・綱利は慶安四年(一六五一)六月二十七日、襲封のお礼として、父・光尚の遺物である左文字の刀と、この骨不知を将軍家綱に献上しました。骨不知の消息不明なのは、明暦三年(一六五七)の江戸城炎上のさい、焼失したからでしょう。 参考文献:日本刀大百科事典