2018-09-20から1日間の記事一覧
御賀丸 禁裏御物の太刀の名です。応仁二年(一四六八)三月二十日の丹州合戦のさい、敵将を敗死させた太田垣新兵衛の殊勲を賞して、山名宗全はかって将軍義満より拝領した御賀丸を、具足にそえて与えました。これとおそらく同一物であろうが、元和九年(一六二…
織田七兵衛 濃州関の兼常作の脇差に、「織田七兵衛所持」と所持銘があります。七兵衛とは織田信長の弟・信行の子で、江州大溝城主だった津田信澄のことです。天正十年(一五八二)、織田信孝に従い、紀州鷺森の本願寺を攻撃中、本能寺の変が起こりました。信澄…
岡田斬り吉房 織田信雄が岡田長門守重孝を斬った刀です。信雄の老臣、津川義冬・浅井長時らと図って、信雄を殺し、徳川家康に加担しよう、とした容疑により、天正十二年(一五八五)三月六日、信雄の居城・長島城によばれ、重孝が鉄砲を拝見しているところに、…
大童子 赤松家の重宝、備前助平作の太刀です。赤松義則は「三尺入道」と綽名されたほどの小男だったが、当時、京都市中を馬で乗りまわし、手当たり次第に人を切り殺す暴漢がいました。髪をふり乱して、童子の格好をしていたので、世人は「大わっぱ」と呼んで…
大行平 『享保名物帳』焼失之部所載です。ただし、本刀を載せない『名物帳』もあります。もとはおそらく、室町将軍家蔵だったのを、松永久秀が奪ったのでしょう。久秀のもとにある時分、本阿弥光心がとった押形によれば、佩き表に不動明王の梵字、裏に剣巻き…
大森藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載の短刀です。もと京都の商人・大森宗屋所持でした。宗屋は江戸初頭、尺八の名人として知られた大森宗勲の一族でしょう。大坂の役の功を賞してであろう、徳川家康から福島正則が、長義の刀とともに拝領しました。正則が…