日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

【刀剣紹介】新髭切り

新髭切り 1.芸州の厳島神社蔵刀、吉川元長寄進です。 刃長二尺三寸六分(約七一・五センチ)、刃文直刃小乱れまじり。「包次」と二字銘。打ち刀拵え付き。ただし、柄は黒塗りの出し鮫。鞘は錦包み黒塗り。由来は不明。 2.奥州の舞草行重の太刀、源氏の重宝です…

【刀剣紹介】実休光忠

実休光忠 『享保名物帳』燒失之部所載、三好之康入道実休所持、備前光忠の太刀です。もと江州甲賀郡三雲城主・三雲对馬守定持所持でした。のち愛刀家の三好義賢入道実休が入手、同家では三雲光忠と呼んでいました。実休が永禄三年(一五六〇)三月五日、泉州南…

【刀剣紹介】神保長光

神保長光 六千石の旗本・神保家伝来です。明治維新後、同家より取り出したものを福地源一郎入手、糸巻き太刀拵えをつけました。それから福住英勇・坂本金弥・細野次郎へ渡ります。細野家売立のさい、小泉策太郎が八百円で落札したが、当時、神保長光を訛って…

【刀剣紹介】水神切り兼光

水神切り兼光 上杉家伝来、備前長船兼光の太刀です。水神を切った、という伝説の詳細は不明です。 刃長二尺三寸一分(約七〇・〇センチ)、平造り、丸棟という珍品。佩き表に梵字、裏に三鈷柄の剣の彫物。小板目肌に映りが出る。刃文は中直刃に小乱れ交じり。…

【刀剣紹介】菖蒲正宗

菖蒲正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗極めの刀です。もと埜田という浪人所持、それを徳川家康に献上したため、永代知行を拝領しました。家康はそれを埋忠明寿・同寿斎に磨り上げさせ、関ヶ原合戦にも佩いて行きました。替え鞘をいくつも作らせ、不…

【刀剣紹介】凌藤四郎

凌藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口吉光の短刀です。鎬藤四郎とも書きます。もと阿波の細川家伝来でした。それを織田信長の臣・佐久間信盛が入手、それを信長へ 献上しました。天正九年(一五八一)七月二十七日、信長は三男信孝に与えました。その…

【刀剣紹介】城和泉正宗

城和泉正宗 奥州津軽家伝来、相州正宗極めの刀です。津軽正宗ともいいます。 刃長二尺三寸三分五厘 (約七〇・七センチ)、板目肌に地沸えよくつく。刃文は彎れ調に小乱れ交じり足・葉・金筋入る。鋩子掃き掛け、焼き詰め風。中心は大磨り上げ、差し表に「城和…

【刀剣紹介】芝吉光

芝吉光 加州前田家所蔵、粟田口吉光、九寸五分(約二八・八センチ)の短刀です。江戸の芝で銭五十文で買ってきた短刀を、無縁坂の業者が二百文で買いました。本阿弥光雲(温)がそれを五百文で買い、研ぎ上げたところ、粟田口吉光の正真で、銘は「大口」の「吉光…

【刀剣紹介】注連丸行平

注連丸行平 『享保名物帳』焼失之部所載、豊後行平の太刀です。 刃長二尺七寸三分五厘(約八二・九センチ)。刀号は、もと神前に注連縄のように、横に懸けてあったことによる。甲府宰相綱重所持、綱重は江戸城中にいたので、明暦三年(一六五七) の江戸城炎上の…

【刀剣紹介】七星

七星 刀の異名です。佐久間象山の嫡子の通称は慶之助、諱は恪です。父象山が元治元年(一八六四)七月十一日、京都において暗殺されると、父の仇を捜すため、母瑞枝と伯父・勝海舟が相談し、三浦慶之助と変名し、近藤勇の新撰組に入れました。七条道場の前で、…

【刀剣紹介】三位来国次

三位来国次 差し裏に「三位」とある来国次の短刀です。徳川家康の差料という説は疑問であるが、将軍家の御物だったことは確かで、江戸城の「小ノ一ノ箱」に入れ てありました。寛永九年(一六二三)五十枚の折紙をつけました。その後、越前福井城主・松平忠昌(…

【刀剣紹介】塩河来国光

塩河来国光 『享保名物帳』所載、京の来国光の短刀です。もと江州佐和山城主・石田三成の臣・塩川志摩か、播州明石城主・塩川信濃守かの所持といいます。埋忠家で金無垢の二重鎺を作りました。現在もそれがついていて、上貝に「うめたゝ 寿斎 彦一入」と銘が…

【刀剣紹介】四海波兼光

四海波兼光 「四海波」と金象嵌のある備前長船兼光の刀です。 刃長二尺二寸八分五厘(約六 九・二センチ)、表裏に棒樋をかき流す。真の棟。地鉄は板目肌。刃文は逆乱 れ。鋩子は乱れ込み、先は尖る。大磨り上げ無銘。差し表に「四海波」、裏に「安藤伝十郎六…

【刀剣紹介】獅子貞宗

獅子貞宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州貞宗作の脇差です。豊臣家の蔵刀で、よほど貴重視したとみえ、一之箱に入れてありました。本阿弥光徳も刀絵図を描いています。異名は拵えの目貫が獅子の図だったことによります。 刃長一尺二寸五分(約三七・ 九セ…

【刀剣紹介】地蔵信国

地蔵信国 毛利輝元が厳島神社に奉納した脇差の異名です。 刃長一尺六寸一分(約四八・八センチ)、平造り、差し表に三銘柄の剣、裏に地蔵尊の彫刻があることからの命名。刃文小乱れ。差し裏に「源左衛門尉信国」とあるが、「国」の字は普通の書体と異なる。腰…

【刀剣紹介】地蔵切り孫六

地蔵切り孫六 濃州関住兼元の刀の異名です。伊勢亀山藩主・石川家伝来しました。同家の先祖が長久手の戦か、どこかで夜中、敵と見て切り落としたところ、地蔵尊だったことからの命名です。刀袋の下げ札に「地蔵切孫六」と誌してありました。昭和五年ごろ近藤…

【刀剣紹介】塩河藤四郎

塩河藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口吉光の短刀です。江州佐和山城主・石田三成の臣・塩川志摩(佐助・喜左衛門)か、播州明石城主・塩川信濃守かの所持だったものです。その後、徳川将軍家蔵となったが、明暦三年(一六五七)の大火で焼失しました。…

【刀剣紹介】三所権現長光

三所権現長光 銘に「熊野三所権現 長光」とある備前長船長光の太刀です。 刃長二尺四寸八分(約七五・二センチ)、地鉄小板目に映り鮮やか。刃文は丁子乱れ。鋩子小丸。切先より六寸(約一八・二センチ)ほど下の棟に、切り込みがある。もと熊野別当の子孫・九鬼…

【刀剣紹介】三斎来国次

三斎来国次 『享保名物帳』焼失之部所載、山城の来国次の作です。奈良から出たものを、細川三斎が求め、のち徳川家康に献上したものです。無銘を本阿弥光徳が来国次と極めたものです。 刃長九寸五厘(約二七・四センチ)。江戸城の刀剣台帳第七番、尤一の箱に…

【刀剣紹介】沢井正宗

沢井正宗 伊賀越の仇討ちで、沢井家伝来とされている相州正宗の刀です。この仇討ちの真相は、備前岡山藩士の河合又五郎がささいな遺恨から、寛永七年(一六三〇)七月、江戸において、同藩の渡辺数馬の弟・源太夫(小才治)を殺して出奔、旗本の阿部四郎五郎らの…

【刀剣紹介】真田藤四郎

真田藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口吉光作の短刀の異名です。ただし古い写本にはこれを載せていません。信州松代城主・真田伊豆守信之所持でした。のち徳川将軍家蔵となり、明暦三年(一六五七)の大火で焼失しました。 刃長八寸一 分(約二四・五…

【刀剣紹介】猿正宗

猿正宗 猿から贈られた相州正宗の刀です。肥後熊本の飛脚が駿河の薩陀山の麓にさしかかった時、猿を海に引きずり込もうとしている大章魚を切って、猿を助けてやったところ、猿は飛脚の文箱を奪って、山中に逃げました。飛脚が猿を追って行くと、遥か彼方に猿…

【刀剣紹介】篠の雪

篠の雪 刀の切れ味のよさを讃える刀号です。笹の葉の上につもった雪は、払えばすぐ落ちるのを、刀で払えばすぐ胴体の切れ落ちることに例えたものです。篠の雪という異名のついた刀は多くあります。 1.池田勝入斎信輝の濃州関住兼定 これを「笹の露」とするの…

【刀剣紹介】笹の露

笹の露 刀の切れ味のよさを讃えた刀号です。笹の葉においた露は、払えばすぐ落ちるのを、刀で払えば胴体のすぐ切れ落ちるのに例えたものです。 1.濃州関の兼元の刀 「笹露 槇嶋監物所持之」と金象嵌があります。細川幽斎の臣・吉田吉助左衛門が、合戦のたび…

【刀剣紹介】笹穂槍

笹穂槍 穂が笹の葉の形をした幅広の槍です。横断面は平三角形のものと、菱形つまり両端のものとあります。長さは一尺(約三〇・三センチ)以下が多く、もっと長いものは柳穂と呼びます。形が短く幅広なものに椿葉形や鷹の羽形、元細く先の張ったものに鳥舌形や…

【刀剣紹介】篠造り

篠造り 1.足利家重代、備前一文字則宗の太刀の異名です。小竹造り、小竹切り、篠丸ともいいます。ほかに二つ銘という別称のあるのは、「備前国則宗」という銘の「備前」が朽ち、「則」のように見えるので、「則国則宗」つまり則国と則宗の合作と誤読したため…

【刀剣紹介】権藤鎮教薙刀

権藤鎮教薙刀 權藤平左衛門尉行澄所持、豊後高田住平鎮教作の薙刀です。『享保名物帳』追記の部に記載されています。朝鮮出兵のさい、敵兵が虎を黒田如水に向けて、けしかけました。主君危しとみて、権藤某がこの薙刀をふるい、虎を仕留めたという説は誤りで…

【刀剣紹介】笹貫きの太刀

笹貫きの太刀 薩摩の樺山家伝来、波平行安作の太刀です。現在は国有、重要文化財です。応永(一三九四)ごろの波平行安が妻に、鍛治場を決して覗いてはならぬ、と厳命しておいたのに、妻が覗いたのを怒り、仕上げ中の刀を裏の竹藪に投げ棄てました。そこから夜…

【刀剣紹介】篠剪り

篠剪り 大和国高取(奈良県高市郡高取町)の城主・植村家伝来、吉岡一文字の刀の異名です。笹剪りとも書きます。植村出羽守家存(家政)が徳川家康の父広忠、祖父清康らに敵対するものを討ち取ったことのある刀です。それが下総国古河城主・本多忠良の家に伝わっ…

【刀剣紹介】笹切り

笹切り 1.奥州最上家重代、相州貞宗の太刀の異名です。笹刀ともいいます。山形城主・最上義守が十六歳で、橋下(上山市)の戦に初陣したとき、賞として父より譲られました。その子義光も十六歳で、永禄四年(一五六一)四月四日の夜、高湯温泉(山形市)に父ととも…