日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【偉人の刀剣】真柄父子の太刀

真柄父子の太刀 北国一の豪傑、朝倉義景の臣・真柄十郎左衛門と、その子・十郎三郎所持の大太刀です。父子とも元亀元年(一五七〇)六月二十八日、姉川の合戦において、徳川方に討たれました。十郎左衛門の太刀は五尺三寸(約一六〇・六センチ)、十郎三郎の太刀…

【偉人の刀剣】本多平八郎の刀

本多平八郎の刀 徳川家康の四天王のひとり、本多忠勝の刀です。天正十二年(一五八四)四月、長久手の戦のさい、織田信雄は忠勝の勇戦ぶりに感じ、法城寺の刀を与えました。同十四年(一五八六)四月、豊臣秀吉の妹・朝日姫と結婚した徳川家康が、祝儀の使者とし…

【刀剣紹介】白鳥の槍

白鳥の槍 下野国宇都宮(栃木県)の城主・奥平千福、のちの忠昌が八歳の少年ながら、徳川家康の外孫であるため、元和二年(一六一六)三月、家康の病気見舞に行った時、拝領した白鳥毛鞘の槍です。同家では代々持槍にしました。穂は三寸(約九センチ)の短槍で、三…

【刀剣紹介】山姥の槍

山姥の槍 柳生宗矩が将軍家光より拝領の笹穂の槍です。寛永十七年(一六四〇)、将軍から大和の高取城を与えよう、との内命があったが、郷里の柳生に帰りたかったのであろう、植村家政を推挙しました。その代わりに、この槍を拝領、という伝説があります。 参…

【刀剣紹介】文殊の槍

文殊の槍 河内守包定作の槍です。包定は手掻包永の末葉で、延宝(一六七三)ごろの人です。大和から江戸へくだり、常州土浦藩主・土屋家のお抱え工となりました。麻布の御薬園の別荘にあった柳の井、実は善福寺の惣門のうちにあった柳の井、という名水をくんで…

【刀剣紹介】蜈蚣槍

蜈蚣槍 旗本の水野十郎左衛門家伝来の槍の異名です。濃州関の兼光作の大身槍です。十郎左衛門成之の弟・又八郎忠丘家の所伝によれば、幡随院長兵衛は水野家の風呂に入るときも、刀を浴室に持ちこみ、床に敷いてあった酒弧の下にかくしました。 それをのぞき…

【刀剣紹介】宝蔵院流槍

宝蔵院流槍 奈良の宝蔵院の覚禅坊胤栄を流祖とする、宝蔵院流槍術で使われる十文字の鎌槍です。胤栄が十文字槍を採用した動機として、胤栄がある夜、水面に映った八日の月影を見て、その形を直槍と組み合わせ、十文字にしたらよかろう、と思い付きました。そ…

【刀剣紹介】放下通し吉光

放下通し吉光 粟田口吉光作の槍の異名です。若州氏家家蔵でした。 裏は平造りで、棒樋をかくが、表は不明。刃文は直刃。「吉光」と在銘。放下師を突き通したための異名であろう。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】毘沙門形槍

毘沙門形槍 毘沙門天(多聞天)の持っている矛に似た十文字槍です。藤枝英一によれば、穂の長さは五寸五分(約一六・七センチ)、鎌の長さは三寸~三寸三分(約九・一~一〇・〇センチ)が標準で、横出した二本の鎌は、上向きになる、とするが、相州泰春の永禄十一…

【刀剣紹介】倒韓の槍

倒韓の槍 甲州甲府城主・加藤光泰所持、相州広次作の片鎌槍です。文禄(一五九二)の役に出陣、これを揮って勇戦したが、帰途、急死しました。穂の長さ一尺二寸(約三六・四センチ)、身幅一寸(約三センチ)。子孫・大洲城主の加藤家に伝来しました。林春斎が寛文…

【刀剣紹介】笹穂槍

笹穂槍 穂が笹の葉の形をした幅広の槍です。横断面は平三角形のものと、菱形つまり両端のものとあります。長さは一尺(約三〇・三センチ)以下が多く、もっと長いものは柳穂と呼びます。形が短く幅広なものに椿葉形や鷹の羽形、元細く先の張ったものに鳥舌形や…

【刀剣紹介】笹切り

笹切り 1.奥州最上家重代、相州貞宗の太刀の異名です。笹刀ともいいます。山形城主・最上義守が十六歳で、橋下(上山市)の戦に初陣したとき、賞として父より譲られました。その子義光も十六歳で、永禄四年(一五六一)四月四日の夜、高湯温泉(山形市)に父ととも…

【刀剣紹介】菊池槍

菊池槍 肥後の延寿鍛治が作った片刃の槍です。菊池千本槍ともいいます。多くの士卒に持たせたからです。その起原については、『肥後国志』にいつの時代に作り始めたか、不明とあり、平野五岳の千本槍歌にも、「臣菊池某、此ノ槍ヲ造ル」とぼかしてあるが、明…

【刀剣紹介】一国長吉

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…