日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-09-15から1日間の記事一覧

【刀剣紹介】二つ銘則宗

二つ銘則宗 『享保名物帳』の原本にはなく、幕末になり本阿弥長根が追加したものです。足利将軍家の重宝でした。明徳の乱のとき、つまり明徳二年(一三九一)十二月晦日、将軍義満は、篠作りという御帯刀に、二つ銘という太刀を添えて佩き、薬研藤四郎という腰…

【刀剣紹介】道誉一文字

道誉一文字 『享保名物帳』所載、備前一文字作の太刀です。佐々木道誉旧蔵でした。道誉は名を高氏といい、初め北条高時のち足利尊氏に仕え、近江国の守護となり、応安六 年(一三七三)没、六十八歳でした。この刀は天文(一五三二)のころ、江州の朽木谷にあり…

【刀剣紹介】長銘貞宗

長銘貞宗 1.『享保名物帳』所載、相州貞宗作の短刀です。徳川将軍家の蔵刀で、寛永七年(一六三〇)に金二百枚の折紙がつきました。同十五年(一六三八)正月十一日、拵えをつけるため、本阿弥三郎兵衛が埋忠家に持参、埋忠与三左衛門が金具を作りました。なお、…

【刀剣紹介】城井兼光

城井兼光 『享保名物帳』所載の名物ですが、古い『名物帳』には見当たりません。幕末になって追記したもののようです。黒田長政が城井鎮房を斬った備前長船兼光の太刀です。もと松山兼光とよばれ、長政の差料でした。黒田孝高は九州征伐の功によって、豊前中…

【刀剣紹介】堺志津

堺志津 『享保名物帳』所載、濃州住志津三郎兼氏作の短刀です。堺から出たため「堺志津」と命名されました。徳川家に入った由来について伝承のないのは、徳川家康が堺から買ったものだからでしょう。正保四年(一六四七)十一月二十七日、徳松(後の五代将軍綱…

【刀剣紹介】寺沢貞宗

寺沢貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗作の脇差です。本阿弥祐徳(光徳の二従兄弟)の家来が京都の木の下(上京区)で、金二枚で買ってきたものを本阿弥光徳が相州貞宗に極め、三百貫の折紙をつけました。本刀を肥前唐津城主・寺沢志摩守広高が金二十枚でもとめ…

【刀剣紹介】佐藤行光

佐藤行光 『享保名物帳』所載、無銘相州行光極めの短刀です。もと佐藤勘右衛門堅忠所持でした。堅忠は初め豊臣秀吉、のち徳川家康に仕え知行千石です。慶長十七年(一六一二)没、 六十五歳でした。本刀は本阿弥が相州行光と鑑定、金百枚の折紙をつけたので、…

【刀剣紹介】碇切り

碇切り 『享保名物帳』追記の部所載で、黒田如水、つまり孝高の差料とされている刀の異名です。ただし、それは誤りで、その子・長政の差料でした。文禄元年(一五九二)の役で、長政が王城の近く、全義館まで進撃したとき、河の畔に陣を構えていると、あやしい…

【刀剣紹介】吉見左文字

吉見左文字 『享保名物帳』所載、筑前左文字極めの刀です。もと石州津和野(島根県鹿足郡津和野町)城主・吉見正頼所持でした。正頼ははじめ大内氏に仕えていましたが、天文二十年(一五五一)、陶晴賢が大内義隆を殺すと、妻が義隆の姉だった関係で、毛利元就と…