【刀剣紹介】蜂屋江
蜂屋江
『享保名物帳』 焼失之部所載、相州正宗作の刀です。もと越前敦賀城主・蜂屋出羽守頼隆所持でした。 豊臣秀次に献上、さらに秀吉から秀頼に伝わり、三之箱に納められました。慶長十六年(一六一一)正月、本阿弥光徳に命じて磨り上げさせ、埋忠寿斎に金具を造らせ、拵えを新調し 、同年五月、将軍秀忠へ献上しました。家康へ献上との説は誤りです。播州姫路城主・池田輝政が病気回復し、慶長十七年(一六一二)八月二十三日、将軍秀忠に拝謁した時、本刀とともに駿馬二頭を下賜されました。
輝政はこれを三男の宮内少輔忠雄に譲ったが、また将軍家光に献上しました。家光が慶安四年(一六五七)四月二十日死去すると、その形見として六月十八日、相州貞宗の脇差とともに三男綱重へ与えられました。明暦三年(一六五七)正月、江戸城炎上のさい焼失しました。
刃長は二尺二寸(約六六・七センチ)、二尺二寸二分(約六七・三センチ)、二尺三寸(約六七・六センチ)ともいう。表裏に棒樋をかき通す。刃文は五の目乱れとも、彎れ風の大乱れともいう。中心は大磨り上げ、目釘孔三個、無銘。代付けは七千貫、または三百五十枚。
参考文献:日本刀大百科事典