日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

郷義弘

【偉人の刀剣】淀屋辰五郎の刀

淀屋辰五郎の刀 元禄(一六八八)ごろ、大坂の豪商として知られた淀屋辰五郎所蔵の刀です。淀屋の五代目で、正しくは三郎右衛門といいます。宝永二年(一七〇五)五月、分を越えた豪奢や詐欺の罪をもって、闕所・所払いの刑に処せられました。 その時の没収品中…

【刀剣紹介】脇屋郷

脇屋郷 『享保名剣集』所載、越中郷義弘極めの刀です。もと脇屋右近所持、大坂落城後、本阿弥光徳が徳川家康に納めました。将軍家光はこれを慶安三年(一六五〇)、松平四郎五郎へ与えました。 刃長二尺三寸一分(約七〇・〇センチ)。表裏に樋をかく。佩き表の…

【刀剣紹介】遊佐大郷

遊佐大郷 越中郷義弘作の太刀です。刃長二尺九寸一分(約八八・二センチ)、のち磨り上げても、二尺四寸五分(約七四・二センチ)あったので、大郷と呼ばれました。この遊佐氏は畠山家の重臣・遊佐河内守長教のことでしょう。同家重代には、河内有成の太刀もあり…

【刀剣紹介】森川江

森川江 郷(江)義弘作の刀の異名です。泉州堺の天王寺屋こと 津田宗及が、天正八年(一五八〇)二月二十二日、織田信長を訪れたさい、それを拝見しました。もと森川某所持といいます。おそらく試し斬りの達人だった森川出羽守重俊の父・金右衛門尉氏役所持でし…

【刀剣紹介】村雲江

村雲江 『享保名物帳』の原本にはなく、後世に追記したものです。越中の郷義弘極めの刀です。本阿弥光徳が江州から取り出してきて、豊臣秀吉に見せたところ、村雲のような刃文だ、と言ったので、それが刀号となりました。それが加賀の前田家に伝来していて、…

【刀剣紹介】三好江

三好江 1.『享保名物帳』焼失之部所載、越中の郷義弘極めの太刀です。三好長慶旧蔵といいます。三好重代の郷義弘の太刀は、刃長二尺六寸五分(約八〇・三センチ)ありました。三好郷はこれを磨り上げたものでしょう。 豊臣秀吉が天正十三年(一五八五)、紀州名…

【刀剣紹介】松倉江

松倉江 越中国松倉住郷義弘作の刀の異名、と見られる場合もあるが、本来は松倉住人郷ノ義弘という意味です。江と郷とを通じ用いります。松倉郷と書けば、越中国新川郡の地名のようであるが、松倉という郷はありませんでした。織田信長は永禄三年(一五六〇)、…

【刀剣紹介】舛屋江

舛屋江 『享保名物帳』焼失之部所載、越中郷義弘極めの刀です。増屋江とも書きます。もと京都小川通りの舛屋了二所持でした。宇喜多秀家が豊臣秀吉へ献上しました。埋忠明寿・寿斎に命じて、刃長二尺一寸一分(約六四・〇セン チ)、または二尺一寸一分五厘(約…

【刀剣紹介】常陸江

常陸江 『享保名物帳』焼失之部所載、越中の郷義弘作の太刀です。もと木村常陸介重茲所持でした。常陸介は山城淀城主で、関白秀次の家老だった関係で、秀次と同罪として、文禄四年(一五九五)七月十五日、摂津茨木の大門寺で自尽しました。本刀は常陸介が豊臣…

【刀剣紹介】肥後江

肥後江 『享保名物帳』焼失之部所載、越中郷義弘作の太刀です。ただし無銘です。本阿弥光塔の取り次ぎで、肥後国熊本城主・加藤清正がが千五百貫で買ったものです。それで熊本江ともいいます。清正の娘(瑤泉院)は慶長八年(一六〇三)、徳川家康の命により、紀…

【刀剣紹介】蜂屋江

蜂屋江 『享保名物帳』 焼失之部所載、相州正宗作の刀です。もと越前敦賀城主・蜂屋出羽守頼隆所持でした。 豊臣秀次に献上、さらに秀吉から秀頼に伝わり、三之箱に納められました。慶長十六年(一六一一)正月、本阿弥光徳に命じて磨り上げさせ、埋忠寿斎に金…

【刀剣紹介】西方江

西方江 『享保名物帳』焼失之部所載、越中郷義弘作の刀です。これはもと刀剣の大家だった三好下野入道釣閑斎所持でした。下野入道は永禄十二年(一五六九)、京都六条の戦に敗れ、失脚しました。それでこれを、泉州堺の西方という豪商に売りました。当時、堺で…

【刀剣紹介】小駒切り

小駒切り 鍋島勝茂所特、郷義弘の太刀です。勝茂が天正十七年(一五八九)十歳で、肥前国神埼郡城原の勢福寺城主・江上家種の養子になったとき、婿引き出として江上家重代のこの太刀を、勝茂に与えました。勝茂は慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の役のとき、初めは…

【刀剣紹介】上野郷

上野江 『享保名物帳』 焼失之部所載、郷義弘の刀です。宇都宮城主・本多上野介正純の旧蔵だったので、「上野江」とよびます。正純が元和八年(一六二二)十月、将軍秀忠の勘気をこうむり改易になったとき、闕所道具として幕府に没収され、将軍家蔵となりまし…

【刀剣紹介】大郷

大郷 1.相州住吉弘の異名です。むかし地元では、吉弘を郷義弘の父と考えていたので、大郷と呼びました。 2.『享保名物帳』焼失之部所載の太刀です。大江とも書きます。もと河内の守護代・遊佐家蔵だったので、遊佐大郷とよばれていました。のち摂津伊丹城主…

【刀剣紹介】切羽貞宗

切羽貞宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州貞宗作の脇差です。切刃貞宗とも書きます。五百枚の折紙付きです。もと明智日向守光秀の所持でした。のち豊臣秀吉の有に帰しました。大坂城では一之箱に入れてあったから、よほど大切にされたものと見えます。本阿…

【刀剣紹介】北野郷

北野郷 『享保名物帳』所載の名物、郷義弘作の太刀です。本阿弥光瑳・同光益の両人が、泉州堺から買ってきたもので、同光徳が義弘ときめ、千五百貫の折紙をつけました。そして中心に「江磨上 光徳(花押)」と金象嵌を入れました。この文字は本阿弥光悦が書…

【刀剣紹介】長谷川江

長谷川江 『享保名物帳』所載、越中郷義弘作の短刀です。もと織田信長の一族・竹丸の父所持といいます。竹丸が竹千代信氏と同人でしたら、その父は信時、その母は信長の妹です。江州大津の城主・京極高次は、妹の松丸殿が豊臣秀吉の側室でした関係で、同じく…

【刀剣紹介】松井江

松井江 『享保名物帳』所載、越中郷義弘極めの刀です。細川幽斎・忠興の重臣で、豊後杵築城主・松井康之が所持していました。本刀が徳川家に入った事情は不明ですが、細川家が肥後に入国すると、康之の子・興長は八代城に入りました。それは八代城代ではなく…

【刀剣紹介】鍋島江

鍋島江 『享保名物帳』所載、越中郷義弘作の無銘刀です。初め肥前佐賀城主・鍋島直茂が所持していました。同家から埋忠家へきたので、押形を採っておきました。その後、同家から徳川家康に献上しました。おそらく慶長五年(一六〇〇)に、鍋島勝茂が献上した「…

【刀剣紹介】中川江

中川江 『享保名物帳』所載、越中の郷義弘極めの刀です。初め織田信長の長男・信忠の所持でした。それを一族の織田駿河守忠政へ与えました。忠政はのち中川八郎右衛門と改名、加賀の前田家臣となり、本刀を子の宗伴、孫の八郎右衛門へと伝えたといいます。駿…

【刀剣紹介】富田江

富田江 『享保名物帳』所載、越中郷義弘作の太刀です。もと伊勢国安濃郡津の城主・富田左近将監知信の蔵刀、といいますが、加州前田家臣で、八百石を食んでいた富田左近の蔵力、という異説もあります。富田家から、堀左衛門督秀政が金十六枚で買いうけ、豊臣…

【刀剣紹介】北野江

北野江 『享保名物帳』所載の名物、郷義弘作の太刀です。本阿弥光瑳・同光益の両人が、泉州堺から買ってきたもので、同光徳が義弘ときめ、千五百貫の折紙をつけました。そして 中心に「江磨上 光徳(花押)」と金象嵌を入れました。この文字は本阿弥光悦が書い…

【刀剣紹介】横須賀江

横須賀江 『享保名物帳』所載、越中郷義弘極めの刀です。初め遠州城東郡松淵郷横須賀村、現在の静岡県小笠郡大須賀町横須賀から出たもので、郷義弘の極めでした。それを本阿弥光常が、阿波の海部物と鑑定しなおし、十枚の折紙をつけました。元禄十四年(一七…

【刀剣紹介】甲斐国郷

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…

【刀剣紹介】稲葉郷

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…

【刀剣紹介】青木郷

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…

【刀剣紹介】青木兼元

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…