日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】増田来国次

増田来国次

享保名物帳』焼失之部所載、来国次作の短刀です。もと豊臣秀次所持でした。秀次の 生存中か、自害後か、不明であるが、文禄(一五九二)年中、研師の木屋が入手して、豊臣秀吉へ金八枚で売りました。

秀吉が逝去後、遺物として、大和郡山城主・増田長盛が拝領しました。長盛は慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の役で西軍に加担したため、領地を没収、武州岩槻城主・高力清長へお預けとなりました。 長盛が大坂落城後の元和元年(一六一五)五月二十七日、自殺を命じられると、この短刀は没収され、将軍秀忠の有に帰しました。それを徳川家康に献上、とするのは誤りです。秀忠は本阿弥家に命じ、金二百枚の折紙をつけさせたのち、尾張の徳川家に贈りました。同家ではその後、再び将軍家へ献上したが、明暦三年(一六五七)、江戸城炎上のさい焼失しました。

したがって刃長を九寸七分(約二九・四センチ)としたものには、樋の記載はないが、八寸九分(約二七・〇センチ)としたものには、表裏に樋があるなど、同名異物の疑いがある。

参考文献:日本刀大百科事典