日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-09-22から1日間の記事一覧

【刀剣紹介】京極正宗

京極正宗 讃州丸亀城主・京極家伝来の短刀です。同家中興の祖・若狭守高次は豊臣秀吉の側室・松丸の兄で、この正宗も秀吉より拝領といいます。しかし秀吉の形見として高次に贈られた樋口正宗と、おそらく同一物でしょう。樋口はヒノクチとよむのが正しいです…

【刀剣紹介】北野行平

北野行平 『享保名物帳』焼失之部所載の太刀、豊後国行平の作です。異名の「北野」は、もと京の北野天満宮の籠め物だったからかどうか、不明といいます。これの押形で『本阿弥光徳刀絵図』『本阿弥光柴押形』『長谷川忠右衛門押形』などに載っているのは、焼…

【刀剣紹介】岐阜国吉

岐阜国吉 『享保名物帳』焼失之部所載の名物、粟田口国吉の短刀です。初め浅野長政が所持していて、本阿弥光徳が五百貫の折紙をつけました。それを関白秀次に献上、秀次はそれを豊臣秀吉に贈りました。秀吉はそれを岐阜城主で、信長の嫡孫にあたる織田秀信に…

【刀剣紹介】北野藤四郎

北野藤四郎 『享保名物帳』追加之部所載の名物、京の粟田口吉光作の短刀です。これはもと京都の北野天満宮の籠め物だったので、北野藤四郎と名づけられました。もと織田信長の所蔵で、天正八年(一五八〇)二月二十二日、堺の津田宗及が京都に行ったとき、拝見…

【刀剣紹介】木下正宗

木下正宗 徳川将軍家旧蔵の太刀です。豊臣秀吉が徳川秀忠に与えたというが、その後の移動は不明です。大坂の筒崎屋惣右衛門という商家が罪をえて、取り潰しになったとき、闕所品として没収、天保七年(一八三六)十月二十五日、将軍家の所蔵となりました。五千…

【刀剣紹介】狐切り貞宗

狐切り貞宗 出羽国山形城主・松平下総守忠弘が、元禄五年(一六九二)十二月二十八日、将軍に献上した短刀です。忠弘が老後、病をえて江戸に定住すると、本国の白河では家臣が二派にわかれて抗争したため、白河から山形に転封、五万石減封のうえ、閉門を仰せつ…

【刀剣紹介】菊池槍

菊池槍 肥後の延寿鍛治が作った片刃の槍です。菊池千本槍ともいいます。多くの士卒に持たせたからです。その起原については、『肥後国志』にいつの時代に作り始めたか、不明とあり、平野五岳の千本槍歌にも、「臣菊池某、此ノ槍ヲ造ル」とぼかしてあるが、明…

【刀剣紹介】紀伊国片桐正宗

紀伊国片桐正宗 『享保名物帳』焼失の部に収載された相州正宗作の短刀です。単に紀伊正宗・片桐正宗ともいいます。紀州和歌山城主・浅野長政の家臣所持でした。それを長政が召しあげ、埋忠寿斎に金具を作らせ、徳川家康に献上しました。家康はそれを大坂方の…

【刀剣紹介】上部・桑山当麻

上部・桑山当麻 『享保名物帳』所載の短刀です。もと江州大津にあったものを、大和で二万六千三百八十石を領していた桑山伊賀守元晴が求めました。桑山家は嗣子・貞晴が寛永六年(一六二九)早世のため、封地を没収されたので、これも手放さざるを得なかったの…

【刀剣紹介】鉋切り長光

鉋切り長光 『享保名物帳』所載の太刀です。もとの持主・又五郎は江州堅田の住人とも、また堅田は姓ともいいます。又五郎が江州伊吹山の麓を、顔見知りの大工と連れ立って歩いていると、その大工がにわかに恐ろしい形相に変わり、又五郎に襲いかかろうとしま…

【刀剣紹介】寒暈刀

寒暈刀 肥前平戸城主・松浦家の蔵刀です。もと同族・松浦将監信純の枕刀です。寛永十六年(一六三九)八月のある夜、夢中に何か顔にさわるので、枕刀で押し退けること四回に及びました。翌朝、刀を見ると物を切った痕があり、そこらには奇妙な足跡が残っていた…

【刀剣紹介】河合正宗

河合正宗 土佐藩主・山内家伝の相州正宗の刀です。もと土佐藩士・河村某所蔵だったので、山内家では「河村正宗」と呼んでいたのを、民間に出てから河合正宗と誤伝し、伊賀越えの仇討ちに付会されました。 山内容堂が明治二、三年ごろ、酒宴の席上、この刀は…

【刀剣紹介】甕割り一文字

甕割り一文字 伊東一刀斎景久が、御子神典膳(のち小野次郎右衛門忠明)に伝えた備前一文字の太刀です。瓶割りとも書きます。これを割り下坂とするのは誤りです。異名の由来については二説あります。 1.三島神社説 典膳はまだ伊豆の三島神社の床下で、浮浪生活…

【刀剣紹介】蝦墓丸

蝦墓丸 新免弁助信盛の差料です。信盛は、二天流二世・寺尾信行の四男です。二天流の奥旨を極めたので、父から宮本武蔵の本姓・新免を名乗ることを許されたほどの達人です。八久保(熊本県菊池郡西合志町)にある寺尾家の耕地に、夜な夜な怪獣が出て、農作物を…

【刀剣紹介】鐘切り

鐘切り 1.武蔵坊弁慶の太刀です。平安城有国の作です。 2.小多喜権兵衛の差料です。権兵衛は江戸初期、江戸の小田原町(中央区)にあった男伊達・小多喜組に属し、元来は商人です。その差料「鐘切り」は、濃州関の兼則の作です。これを兼乗とするのは誤りです…

【刀剣紹介】加藤国広

加藤国広 加藤清正の娘・瑞林院が元和三年(一六一七)、紀州頼宣に輿入れのさい、持参した堀川国広の刀です。 刃長二尺二寸九分(約六九・四センチ)、身幅の広い豪壮な姿で、大きく彎れた大五の目乱れをやく。「国広」と二字銘。 吉宗が紀州家から入って八代将…