『享保名物帳』焼失之部所載の短刀です。謡曲『車屋本』の編集者・車屋道悦の一族である車屋宗瑞旧蔵でした。のち筑後久留米城主・有馬家の所蔵となりました。有馬忠頼の遺物として、明暦元年(一六五五)七月、正宗の刀と吉光の脇差を将軍に献上しました。その吉光がこの車屋藤四郎でしょう。明暦三年(一六五七)江戸城炎上のさい焼失しました。
刃長八寸二分(約二四・九センチ)。表裏に刀樋と影樋があり、刃文は乱れ刃、中心先が切ってあり、目釘孔も多かった。ただし「吉光」と在銘だった。本阿弥家の折紙はなかった。
参考文献:日本刀大百科事典