【刀剣紹介】岡山藤四郎
日本の美、日本刀
まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。
岡山藤四郎
『享保名物帳』所載の短刀です。前田利家が金十五枚または十六枚で買い求め、織田信長の生存中に豊臣秀吉に贈りました。秀吉の形見分けのさい、小早川秀詮、のちの秀秋が「拾子の茶壷」金子百枚とともに拝領しました。関ヶ原合戦のさい、東軍に寝返って功により岡山五十一万石の城主となりました。そして本刀を家康に献上したので「岡山藤四郎」と呼ばれることになりました。以上の説と異なり、前田利家が徳川秀忠に献上したものを、小早川秀秋が拝領し、さらに徳川家へ献上した、という異説もあります。本阿弥光温が本刀の押形をとったところまでは将軍家にありましたが『名物帳』の編集されたころは尾州徳川家所蔵になっていました。しかし、現在は同家にも伝来されていません。
刃長は八寸五分(約二五・八センチ)で平造り。表裏に護摩箸を彫る。刃文直刃。中心はうぶ、目釘孔一つ。「吉光」と二字銘。吉の字は「大口」となる。
参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「岡山藤四郎」