【刀剣紹介】小屏風長刀
小屏風長刀
静御前の薙刀として、豊後の大友家の重宝です。土佐坊昌俊が源頼朝の命により、文治元年(一一八五)十月十七日、源義経を京都堀川の館に襲ったとき、静御前がこれを揮って、敵を退けたと伝えられるものです。義経は再襲撃をおそれ、堀川館にいた豊後国大野郡の豪族・緒方惟栄に、九州下向を諮ったところ、肥後の菊池を賜ったら、それを討伐しますから、その後に下向して下さい、と要請しました。その計画どおりに事が進行して、義経は惟栄とともども九州下向することになりました。その首途の祝に、この薙刀を惟栄が拝領しました。これは史実と違うが、そうした伝説づきで、その後、大友家に伝来しました。穢れに触れた者がさわると、身がすくむと言われていました。元和九年(一六二三)の夏、甚太郎という研師が三日間、精進してから錆落としをしたが、三日後に急死したといいます。
参考文献:日本刀大百科事典