日本刀の世界 ~日本の様式美~

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【刀剣紹介】大国綱

大国綱

享保名物帳』焼失之部所載です。一名、光鬼ともいいます。初め播磨の守護・赤松満祐の所持でしたが、嘉吉元年(一四四二)六月、将軍義教を殺した事件で、一族が自尽して果てたので、将軍家の有に帰しました。その後の消息は不明ですが、おそらく足利将軍家の倒壊によって、誰か武将の手に渡っていたのでしょう。それが元和元年(一六一五)夏の陣のさい、出て来たというから、その武将は大坂方だったことになります。戦利品として将軍秀忠が召し上げました。『埋忠銘鑑』に押形の出ているのは、金具の新調を命じられ、拝見する機会を得たからでしょう。『光山押形』に載っているのは、金百枚の折紙がついているので、そのとき押形を採ったのでしょう。 明暦三年(一六五七)の大火に焼けたのでしょう。『享保名物帳』では焼失之部に入れてあります。しかし、明治二年調べの『御腰物台帳』には見当たりません。それ以前に同家を出たまま、現在でも所在不明です。

刃長二尺七寸七分(約八四・一センチ)もあるので、 大国綱と命名された。表裏の棒樋は、鎺のうえで丸留めとなる。これには、国綱の特徴である腰刃がなかった。『光山押形』には、区より一寸(約三・〇センチ)ほど上から腰刃がある、とあるが、『埋忠銘鑑』の図を見ると、そこに腰刃というほどのものはない。中心はうぶ、目釘孔一個。「国綱」と二字銘がある。

参考文献:日本刀大百科事典