赤松家の重宝、備前助平作の太刀です。赤松義則は「三尺入道」と綽名されたほどの小男だったが、当時、京都市中を馬で乗りまわし、手当たり次第に人を切り殺す暴漢がいました。髪をふり乱して、童子の格好をしていたので、世人は「大わっぱ」と呼んで、恐れおののいていました。義則は単身でそれを探し回り、御菩薩池の辺で行きあいました。馬上で斬り結んで、それをたおしました。その時の太刀を「大わっぱ」と名づけ、赤松家重代としました。それから六代の孫・義祐が、本刀を別所重宗に預けておいたところ、重宗の邸が自火で焼けたので、「大わっぱ」も焼失しました。
参考文献:日本刀大百科事典