日本刀の世界 ~日本の様式美~

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【刀剣紹介】上部・桑山当麻

上部・桑山当麻

享保名物帳』所載の短刀です。もと江州大津にあったものを、大和で二万六千三百八十石を領していた桑山伊賀守元晴が求めました。桑山家は嗣子・貞晴が寛永六年(一六二九)早世のため、封地を没収されたので、これも手放さざるを得なかったのでしょう。のち紀州徳川家の蔵刀になっていたが、同家にはもう一振り「上部当麻」があったので、尾州徳川家と道具替えすることになりました。これを「上部・桑山当麻」とよぶのは、紀州家に残った「上部当麻」と本阿弥家で混同したものであって、単に「桑山当麻」とよぶのが正しいです。折紙ははじめ百五十枚、慶安三年(一六五〇)に五千貫、正徳三年(一七一三)に三百枚と昇格しています。

正徳三年(一七一三)十二月十一日、尾州徳川家の幼君・五郎太夭折の遺物として、将軍に献上されました。これの鞘書や将軍家腰物台帳に、「無代」とあるのは、尾州家から折紙を添えてやらなかったからでしょう。『継平押形』に「上部当麻」として押形の出ているのは冠落しだから、全く別物です。

「桑山当麻」はその後、将軍家に伝来し、昭和八年重要美術品に指定されたが、戦後、同家を出ています。

刃長八寸三分五厘(約二五・三センチ)、平造り、真の棟。差し表に素剣、裏に護摩署をかく。『享保名物帳』に、裏は菖蒲樋とあるのは、「上部当麻」との混同である。地鉄は小杢目に大板目流れる。刃文は彎れ心の直辺、ほつれや太い足入る。鋩子は掃きかけ、先尖る。中心はうぶ、目釘孔三個。『享保名物帳』に「朱銘」とあるが、現在は見当たらない。やはり「上部当麻」と混同しての誤記であろう。

参考文献:日本刀大百科事典