日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

享保名物帳

【刀剣紹介】吉田兼光

吉田兼光 『享保名物帳』所載、備前長船兼光作の短刀です。池田輝政は天正十八年(一五九〇)から、慶長五年(一六〇〇)まで、三州吉田(愛知県豊橋)の城主でした。そのころから所持していたので、「吉田兼光」の名を得ました。本刀を三男で、まだ少年だった忠雄…

【刀剣紹介】切羽貞宗

切羽貞宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州貞宗作の脇差です。切刃貞宗とも書きます。五百枚の折紙付きです。もと明智日向守光秀の所持でした。のち豊臣秀吉の有に帰しました。大坂城では一之箱に入れてあったから、よほど大切にされたものと見えます。本阿…

【刀剣紹介】北野郷

北野郷 『享保名物帳』所載の名物、郷義弘作の太刀です。本阿弥光瑳・同光益の両人が、泉州堺から買ってきたもので、同光徳が義弘ときめ、千五百貫の折紙をつけました。そして中心に「江磨上 光徳(花押)」と金象嵌を入れました。この文字は本阿弥光悦が書…

【刀剣紹介】竹股兼光

竹股兼光 『享保名物帳』所載、備前長船兼光の太刀です。竹俣兼光とも書きます。越後国老津(新潟県新井市小出雲)の百姓が雷雨にあい、この刀を頭上に戴いていました。雷雨が過ぎたあと、刀を見ると血潮がついていました。雷がこの刀の上に落ちて切られたの…

【刀剣紹介】津田遠江長光

津田遠江長光 『享保名物帳』所載、備前長光の太刀です。古くは単に「遠江長光」といいます。初め織田信長所持でした。天正十年(一五八二)、本能寺の変のさい、明智光秀が奪い、本刀を津田重久に与えました。重久は山崎の合戦で破れ、高野山へ逃げていたが…

【刀剣紹介】日置豊前安吉

日置豊前安吉 『享保名物帳』所載の筑前の左安吉作の短刀です。備前岡山城主・池田光政の家老、日置豊前守忠俊所持でした。よって日置豊前安吉・豊前安吉ともいいます。日置家を出た理由は不明ですが、あるいは、池田家が寛永九年(一六三二)、岡山へ移封の…

【刀剣紹介】鉈切り当麻

鉈切り当麻 『享保名物帳』所載、大和の当麻派の作です。伝来については二説あります。 1. 佐野説 下野国佐野城主・佐野家に昔より伝来しました。本阿弥光も佐野修理殿にある、と書いてます。佐野修理殿とは佐野信吉のことです。信吉は大坂城に内通した容疑…

【刀剣紹介】奈良屋貞宗

奈良屋貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗作の短刀です。もと泉州堺の商人・奈良屋宗悦所持でした。文禄(一五九二)のころ、黄門秀俊が五百貫で購入しました。黄門とは中納言のことで、当時、中納言秀俊と称したものに、豊臣秀保と小早川秀秋とがあります。…

【刀剣紹介】徳善院貞宗

徳善院貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗の脇差です。初め織田信長の長男・信忠所持、それを嫡子・三法師に与えました。天正十年(一五八二)本能寺の変のさい、信忠は徳善院こと前田玄以法印に、三法師を託し、安土へ逃れさせました。三法師は豊臣秀吉の一…

【刀剣紹介】松浦安吉

松浦安吉 『享保名物帳』所載、筑前の左安吉作の脇差です。もと肥前平戸城主・松浦肥前守所持でした。慶安二年(一六四九)、松浦家から本阿弥家に来たので、金六十枚の折紙を出しました。その後、加賀の前田利常が購入、本阿弥家に出すと、枚数が百三十枚に…

【刀剣紹介】北荘貞宗

北荘貞宗 『享保名物帳』所載の脇差です。相州貞宗の作、ただし無銘です。越前北庄から出たので、北荘貞宗と呼ばれました。享保(一七一六)のころは、奥州仙台藩主の伊達家にありました。しかし文化十四年(一八一七)調べの『伊達家御腰物本帳』に見当たり…

【刀剣紹介】乱れ光包

乱れ光包 『享保名物帳』所載です。ただし、原本にはなく、本阿弥長根が幕末に追記したものです。中堂来光包作の短刀です。もと前田家の重臣(五万石)・本多安房守政重所持、藩主・前田利常に献上されました。将軍綱吉の養女・松姫が、前田家の世子・吉徳に…

【刀剣紹介】御掘出し貞宗

御掘出し貞宗 『享保名物帳』所載の太刀です。徳川家康が関ヶ原合戦もすんだあと、伏見において入手したもので、本刀は相州正宗であろうと、自ら鑑定して、本阿弥光徳にみせたところ、その子・貞宗に極まりました。それで、これは掘り出しじゃのう、と喜んで…

【刀剣紹介】白樫包永

白樫包永 『享保名物帳』所載、和州手掻包永の太刀です。もと白樫という山伏所持でした。それを毛利甲斐守秀元が入手し、寛永三年(一六二六)、本阿弥家にやり、金二十枚(二百枚)の折紙をつけさせました。秀元の嗣子・和泉守光広の遺物として、承応二年(…

【刀剣紹介】宗喜貞宗

宗喜貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗の短刀です。もと石田三成の茶道頭・宗喜の所持でした。ただし宗祇とも書きます。寛永十九年(一六四二)十一月十四日、将軍家光が、近く水戸へ帰国する徳川頼房を城中に招き、饗応したさい、頼房に贈りました。本阿弥…

【刀剣紹介】蜂屋長光

蜂屋長光 『享保名物帳』所載、備前長光作の小太刀です。もと蜂屋某というあぶれ者所持といいます。豊臣秀吉時代というから、蜂屋大膳大夫・その子五郎助・市左衛門らのうちの誰かでしょう。秀吉はこれを一時、枕刀にしていたが、のち側室の松丸殿へ与えまし…

【刀剣紹介】長左文字

長左文字 『享保名物帳』所載、筑前左文字作の刀です。もと能州七尾城主・長家の伝来でした。九郎左衛門連竜は天正五年(一五七七)、上杉謙信に攻められ、父と兄を失ったので、織田信長に援を乞い、前田利家が加賀の国主になると、その与力を命じられました…

【刀剣紹介】千鳥一文字

千鳥一文字 『享保名物帳』所載、備前一文字の太刀です。豊臣秀吉が島津征伐よりの帰途、天正十五年七月三日、長州赤間ヶ関に出迎えた毛利輝元が、秀吉に贈ったものです。千鳥の太刀ともいいます。大坂城では一之箱に入れてありました。落城のとき焼失したと…

【刀剣紹介】順慶左文字

順慶左文字 『享保名物帳』所載の筑州左文字銀象嵌銘の太刀です。もと和州郡山城主・筒井順慶所持でした。のち紀州和歌山城主・浅野長晟が所持、徳川家康に献上しました。おそらく長晟が兄・幸長の死により、慶長十八年(一六一三)、遺領を継承した礼として…

【刀剣紹介】朱判貞宗

朱判貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗極めの脇差です。もと本阿弥光利所持でした。本阿弥光甫の言によれば、その後、土井大炊頭に売りました。土井家では本刀を将軍に献上しました。将軍秀忠は寛永九年(一六三二)以前に、本刀を前田利常に与えました。同…

【刀剣紹介】斎村貞宗

斎村貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗の小脇差です。もと播州竜野城主・赤松下野守政秀所持でした。その子・斎村左兵衛佐政広は関ヶ原の役で初め西軍、のち東軍に寝返り、因州鳥取城攻めに参加しました。そのとき城下を焼き払ったことで、徳川家康から切腹…

【刀剣紹介】福島光忠

福島光忠 『享保名物帳』所載、備前長船光忠作の太刀です。もと福島正則の佩刀でした。正則の四男・正利が寛永元年(一六二四)七月十三日、父の遺物として将軍に献上した「大光忠」とは、本刀のことでしょう。『享保名物帳』編集のころ、常州茨城郡宍戸(茨…

【刀剣紹介】福島正宗

福島正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗作の刀です。もと本阿弥光徳の弟・光淳所持で、七百貫の折紙付きでした。享保(一七一六)ごろは、代も千貫に上がり、浅野但馬守のもとにありました。ただし、但馬守は誤りで、安芸守吉長でなければなりません。 刃長…

【刀剣紹介】戸川来国次

戸川来国次 『享保名物帳』焼失之部所載、来国次作の短刀です。もと備前庭瀬城主・戸川肥後守逵安所持し、将軍秀忠へ献上した 、ともいいますが、寛永六年(一六二九)四月二十九日、加賀の前田利常の別邸に、前将軍秀忠が来たとき、利常が献上しているとこ…

【刀剣紹介】戸川志津

戸川志津 『享保名物帳』所載、濃州志津兼氏極めの短刀です。もと戸川肥後守逵安所持でした。逵安は初め宇喜多秀家に仕え、備前常山城主でしたが、慶長四年(一五九九)、老臣と結んで秀家に反抗したので、徳川家康の裁判で追放となりました。翌五年(一六〇…

【刀剣紹介】桑山光包

桑山光包 『享保名物帳』所載の中堂来光包の短刀です。もと江州大津の住人が所持していました。それを大和で二万六千余石を領していた桑山伊賀守元晴が、千五百貫で買い上げました。元晴の子・貞晴は寛永六年(一六二九)早世しました。嗣子がなかったので知…

【刀剣紹介】桑山保昌

桑山保昌 『享保名物帳』所載の大和国保昌貞吉の短刀です。もと大和で二万六千余石を領していた桑山伊賀守元晴の所蔵です。同家はその子・貞晴が寛永六年(一六二九)早世し、嗣子がなかったため知行を没収されました。それでこれを売りに出したと見え、金沢…

【刀剣紹介】桑山志津

桑山志津 『享保名物帳』所載の美濃国志津兼氏の刀です。もと大和において二万六千余石を領していた桑山伊賀守元晴の所蔵でした。同家は二代目貞晴が寛永六年(一六二九)早死にしたとき、嗣子がなかったので、封地を没収されました。それで遺族がこれを売り…

【刀剣紹介】道二左文字

道二左文字 『享保名物帳』所載、筑前左文字作の刀です。京都室町の半田道二という者の旧蔵です。尾州徳川家にあったが、同家を早く出たようです。もちろん現在、同家にもありません。今村長賀は明治のころ拝見した、と『名物帳』に書き入れています。 刃長…

【刀剣紹介】一柳安吉

一柳安吉 『享保名物帳』所載、筑前の左安吉作の脇差です。もと一柳直盛所持していました。直盛は勢州神戸城主から、寛永十三年(一六三六)六月、伊予の西条城主に移され、西条に赴く途中、同年八月十九日、大坂において客死(その人が普段の生活を送ってい…