日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-09-11から1日間の記事一覧

【刀剣紹介】松浦安吉

松浦安吉 『享保名物帳』所載、筑前の左安吉作の脇差です。もと肥前平戸城主・松浦肥前守所持でした。慶安二年(一六四九)、松浦家から本阿弥家に来たので、金六十枚の折紙を出しました。その後、加賀の前田利常が購入、本阿弥家に出すと、枚数が百三十枚に…

【刀剣紹介】北荘貞宗

北荘貞宗 『享保名物帳』所載の脇差です。相州貞宗の作、ただし無銘です。越前北庄から出たので、北荘貞宗と呼ばれました。享保(一七一六)のころは、奥州仙台藩主の伊達家にありました。しかし文化十四年(一八一七)調べの『伊達家御腰物本帳』に見当たり…

【刀剣紹介】乱れ光包

乱れ光包 『享保名物帳』所載です。ただし、原本にはなく、本阿弥長根が幕末に追記したものです。中堂来光包作の短刀です。もと前田家の重臣(五万石)・本多安房守政重所持、藩主・前田利常に献上されました。将軍綱吉の養女・松姫が、前田家の世子・吉徳に…

【刀剣紹介】御掘出し貞宗

御掘出し貞宗 『享保名物帳』所載の太刀です。徳川家康が関ヶ原合戦もすんだあと、伏見において入手したもので、本刀は相州正宗であろうと、自ら鑑定して、本阿弥光徳にみせたところ、その子・貞宗に極まりました。それで、これは掘り出しじゃのう、と喜んで…

【刀剣紹介】白樫包永

白樫包永 『享保名物帳』所載、和州手掻包永の太刀です。もと白樫という山伏所持でした。それを毛利甲斐守秀元が入手し、寛永三年(一六二六)、本阿弥家にやり、金二十枚(二百枚)の折紙をつけさせました。秀元の嗣子・和泉守光広の遺物として、承応二年(…

【刀剣紹介】宗喜貞宗

宗喜貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗の短刀です。もと石田三成の茶道頭・宗喜の所持でした。ただし宗祇とも書きます。寛永十九年(一六四二)十一月十四日、将軍家光が、近く水戸へ帰国する徳川頼房を城中に招き、饗応したさい、頼房に贈りました。本阿弥…

【刀剣紹介】蜂屋長光

蜂屋長光 『享保名物帳』所載、備前長光作の小太刀です。もと蜂屋某というあぶれ者所持といいます。豊臣秀吉時代というから、蜂屋大膳大夫・その子五郎助・市左衛門らのうちの誰かでしょう。秀吉はこれを一時、枕刀にしていたが、のち側室の松丸殿へ与えまし…

【刀剣紹介】長左文字

長左文字 『享保名物帳』所載、筑前左文字作の刀です。もと能州七尾城主・長家の伝来でした。九郎左衛門連竜は天正五年(一五七七)、上杉謙信に攻められ、父と兄を失ったので、織田信長に援を乞い、前田利家が加賀の国主になると、その与力を命じられました…

【刀剣紹介】千鳥一文字

千鳥一文字 『享保名物帳』所載、備前一文字の太刀です。豊臣秀吉が島津征伐よりの帰途、天正十五年七月三日、長州赤間ヶ関に出迎えた毛利輝元が、秀吉に贈ったものです。千鳥の太刀ともいいます。大坂城では一之箱に入れてありました。落城のとき焼失したと…

【刀剣紹介】順慶左文字

順慶左文字 『享保名物帳』所載の筑州左文字銀象嵌銘の太刀です。もと和州郡山城主・筒井順慶所持でした。のち紀州和歌山城主・浅野長晟が所持、徳川家康に献上しました。おそらく長晟が兄・幸長の死により、慶長十八年(一六一三)、遺領を継承した礼として…

【刀剣紹介】朱判貞宗

朱判貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗極めの脇差です。もと本阿弥光利所持でした。本阿弥光甫の言によれば、その後、土井大炊頭に売りました。土井家では本刀を将軍に献上しました。将軍秀忠は寛永九年(一六三二)以前に、本刀を前田利常に与えました。同…

【刀剣紹介】斎村貞宗

斎村貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗の小脇差です。もと播州竜野城主・赤松下野守政秀所持でした。その子・斎村左兵衛佐政広は関ヶ原の役で初め西軍、のち東軍に寝返り、因州鳥取城攻めに参加しました。そのとき城下を焼き払ったことで、徳川家康から切腹…