日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】鉈切り当麻

鉈切り当麻

享保名物帳』所載、大和の当麻派の作です。伝来については二説あります。

1. 佐野説

下野国佐野城主・佐野家に昔より伝来しました。本阿弥光も佐野修理殿にある、と書いてます。佐野修理殿とは佐野信吉のことです。信吉は大坂城に内通した容疑で、慶長十九年(一六一四)七月、信州松本に追放されました。

2. 井伊説

享保名物帳』編集のころは、江州彦根城主・井伊家にありました。本阿弥光寿の実父・利安の談によれば、井伊直孝の時代、領内の百姓が所持していたのを、召し上げたものといいます。かつて百姓の家に泥棒が鉈をもって押し入ったさい、この刀で切りつけ、鉈に当たりました。それで大きな刃こぼれが出来たといいます。慶安四年(一六五一)七月以後の本阿弥家の控帳を見ると、井伊家からきて千五百貫または七十五枚の折紙をつけました。その時もなお刃区より四寸(約一二・一センチ)余のところに、刃こぼれが残っていたといいます。 以上の二説を折衷すると、領内の百姓というのは、佐野家の領内の聞きちがえて、佐野信吉が信州松本に追放されたあと、売りに出したのを、井伊家で買い上げたのでしょう。

刃長の一尺三寸一分(約三九・七センチ)も、鵜の首造りで長刀樋に添え樋のある点も、差し裏の中心先に「正和」という年号の残っていることも、両説ともに一致している。作風については、差し裏の切先より少し下、刃のうえに長い鍛え目が表れていた以外、伝えるところがない。

参考文献:日本刀大百科事典