【刀剣紹介】桑山光包
桑山光包
『享保名物帳』所載の中堂来光包の短刀です。もと江州大津の住人が所持していました。それを大和で二万六千余石を領していた桑山伊賀守元晴が、千五百貫で買い上げました。元晴の子・貞晴は寛永六年(一六二九)早世しました。嗣子がなかったので知行は没収されましたが、貞晴の弟・栄晴に扶持五百俵を与え、家名を継がせることになりました。その御礼言上のさい、栄晴は前将軍秀忠にこの桑山光包、現将軍家光に盛家(守家)の刀を献上しました。したがって桑山光包を家光に献上したという説は誤りです。 加賀藩主・利常が筋違橋の普請を成就した功を賞して、寛永十三年(一六三六)三月二十九日、将軍家光より本刀を拝領しました。万治三年(一六六〇)金三百枚の折紙がつきました。以後、前田家に伝来しました。戦後、同家を出ました。
刃長八寸九分五厘(約二七・一センチ)。梨子地風のつんだ小杢目肌の地鉄に、食い違いや小足の入った直刃を焼く。中心はうぶ、無銘。
参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「桑山光包」