日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

享保名物帳

【刀剣紹介】大行平

大行平 『享保名物帳』焼失之部所載です。ただし、本刀を載せない『名物帳』もあります。もとはおそらく、室町将軍家蔵だったのを、松永久秀が奪ったのでしょう。久秀のもとにある時分、本阿弥光心がとった押形によれば、佩き表に不動明王の梵字、裏に剣巻き…

【刀剣紹介】大森藤四郎

大森藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載の短刀です。もと京都の商人・大森宗屋所持でした。宗屋は江戸初頭、尺八の名人として知られた大森宗勲の一族でしょう。大坂の役の功を賞してであろう、徳川家康から福島正則が、長義の刀とともに拝領しました。正則が…

【刀剣紹介】大相馬兼光

大相馬兼光 『享保名物帳』所載の太刀です。長大なため一名「大兼光」ともいいます。元和(一六一五)のころ、相州小田原城主・大久保家の家臣に、相馬長四郎という者がいました。これの先祖・七郎左衛門旧蔵だったので、相馬兼光、特に長大なため、「大兼光」…

【刀剣紹介】大郷

大郷 1.相州住吉弘の異名です。むかし地元では、吉弘を郷義弘の父と考えていたので、大郷と呼びました。 2.『享保名物帳』焼失之部所載の太刀です。大江とも書きます。もと河内の守護代・遊佐家蔵だったので、遊佐大郷とよばれていました。のち摂津伊丹城主…

【刀剣紹介】大国吉

大国吉 1.『享保名物帳』焼失之部所載です。刃長が一尺二寸二分(約三七・〇センチ)と長いので、「大国吉」と名づけられたものです。豊臣秀吉の所蔵だったので、『本阿弥光徳刀絵図』に押形が出ています。 平造りで、表裏に護摩箸あり、刃文は直刃。中心は区…

【刀剣紹介】大国綱

大国綱 『享保名物帳』焼失之部所載です。一名、光鬼ともいいます。初め播磨の守護・赤松満祐の所持でしたが、嘉吉元年(一四四二)六月、将軍義教を殺した事件で、一族が自尽して果てたので、将軍家の有に帰しました。その後の消息は不明ですが、おそらく足利…

【刀剣紹介】石田・切込み正宗

石田・切込み正宗 『享保名物帳』所載の刀です。もと「毛利若狭守殿所持」とあるが、森若狭守所持の誤りです。若狭守は関白秀次に仕え、馬廻り組頭を勤めていました。主君を失い浪浪の身になってからであろう、本刀を岡山城主・宇喜多秀家に四百貫で売りまし…

【刀剣紹介】安宅志津

安宅志津 『享保名物帳』 の「焼失之部」所載の刀です。『享保名物帳』には、寛永七年(一六三〇)に幕府より来て、二十枚の折紙をつけた、とあるが、それは寛永七年から記載し始めた本阿弥家の留帳「坤」の部にあるのを勘違いしたもので、それを開いてみると…

【刀剣紹介】足利飯塚藤四郎

足利飯塚藤四郎 『享保名物帳』焼失之部に記載されています。駿河大納言忠長の家来に、飯塚半次郎忠重という者がいました。それがこの短刀を愛蔵していて、いつも枕の下に入れていました。本刀を忠長が召し上げて、寛永二年(一六二五)二月五日、前将軍秀忠が…

【刀剣紹介】秋田行平

秋田行平 『享保名物帳』の焼失之部に記載されています。もと秋田城之介所持でした。のち甲府左馬頭、つまり将軍家光の三男・徳川綱重の道具となりました。 刃長二尺七寸(約八一・八センチ)。二尺二寸七分(約六八・八センチ)との異説もある。百枚の折紙付き…

【刀剣紹介】秋田正宗

秋田正宗 『享保名物帳』の焼失之部に記載されています。石井正宗ともいいます。その由来について、『享保名物帳』には石井伝右衛門が秋田で求めたから、とあるが、『名物控』には、 秋田で石井伝右衛門が所持していたから、とあって、後説が正しいようです…

【刀剣紹介】秋田則重

秋田則重 『享保名物帳』の焼失之部に所載されています。もと秋田城之介家の伝来刀だったのを、黒田長政が所望しました。秋田家で代金五十両というのに、長政は百両おくりました。長政の孫光之は承応三年(一六五四)五月三日、襲封の礼として本刀を将軍に献上…

【刀剣紹介】二つ銘則宗

二つ銘則宗 『享保名物帳』の原本にはなく、幕末になり本阿弥長根が追加したものです。足利将軍家の重宝でした。明徳の乱のとき、つまり明徳二年(一三九一)十二月晦日、将軍義満は、篠作りという御帯刀に、二つ銘という太刀を添えて佩き、薬研藤四郎という腰…

【刀剣紹介】道誉一文字

道誉一文字 『享保名物帳』所載、備前一文字作の太刀です。佐々木道誉旧蔵でした。道誉は名を高氏といい、初め北条高時のち足利尊氏に仕え、近江国の守護となり、応安六 年(一三七三)没、六十八歳でした。この刀は天文(一五三二)のころ、江州の朽木谷にあり…

【刀剣紹介】長銘貞宗

長銘貞宗 1.『享保名物帳』所載、相州貞宗作の短刀です。徳川将軍家の蔵刀で、寛永七年(一六三〇)に金二百枚の折紙がつきました。同十五年(一六三八)正月十一日、拵えをつけるため、本阿弥三郎兵衛が埋忠家に持参、埋忠与三左衛門が金具を作りました。なお、…

【刀剣紹介】城井兼光

城井兼光 『享保名物帳』所載の名物ですが、古い『名物帳』には見当たりません。幕末になって追記したもののようです。黒田長政が城井鎮房を斬った備前長船兼光の太刀です。もと松山兼光とよばれ、長政の差料でした。黒田孝高は九州征伐の功によって、豊前中…

【刀剣紹介】堺志津

堺志津 『享保名物帳』所載、濃州住志津三郎兼氏作の短刀です。堺から出たため「堺志津」と命名されました。徳川家に入った由来について伝承のないのは、徳川家康が堺から買ったものだからでしょう。正保四年(一六四七)十一月二十七日、徳松(後の五代将軍綱…

【刀剣紹介】寺沢貞宗

寺沢貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗作の脇差です。本阿弥祐徳(光徳の二従兄弟)の家来が京都の木の下(上京区)で、金二枚で買ってきたものを本阿弥光徳が相州貞宗に極め、三百貫の折紙をつけました。本刀を肥前唐津城主・寺沢志摩守広高が金二十枚でもとめ…

【刀剣紹介】佐藤行光

佐藤行光 『享保名物帳』所載、無銘相州行光極めの短刀です。もと佐藤勘右衛門堅忠所持でした。堅忠は初め豊臣秀吉、のち徳川家康に仕え知行千石です。慶長十七年(一六一二)没、 六十五歳でした。本刀は本阿弥が相州行光と鑑定、金百枚の折紙をつけたので、…

【刀剣紹介】碇切り

碇切り 『享保名物帳』追記の部所載で、黒田如水、つまり孝高の差料とされている刀の異名です。ただし、それは誤りで、その子・長政の差料でした。文禄元年(一五九二)の役で、長政が王城の近く、全義館まで進撃したとき、河の畔に陣を構えていると、あやしい…

【刀剣紹介】吉見左文字

吉見左文字 『享保名物帳』所載、筑前左文字極めの刀です。もと石州津和野(島根県鹿足郡津和野町)城主・吉見正頼所持でした。正頼ははじめ大内氏に仕えていましたが、天文二十年(一五五一)、陶晴賢が大内義隆を殺すと、妻が義隆の姉だった関係で、毛利元就と…

【刀剣紹介】二筋樋大坂貞宗

二筋樋大坂貞宗 もと豊臣家の大坂城にあったので、大坂貞宗とも、また二筋樋があるので、二筋樋貞宗ともいいます。徳川家康の次男・秀康は十一歳のとき豊臣秀吉の養子、十八歳のとき結城晴朝の養子になりました。そんな関係で、秀康が秀吉より拝領し、以後同…

【刀剣紹介】楠左文字

楠左文字 『享保名物帳』所載の短刀です。もと織田信長の祐筆頭・楠長庵所持というが、長庵は長諳の誤りです。長諳は楠正儀九代の孫と称し、諱は正虎、式部卿法印と号しました。豊臣秀吉の祐筆も勤めました。長諳から尾張の徳川義直へ渡り、義直は本刀を井上…

【刀剣紹介】大波高木

大波高木 『享保名物帳』所載の刀です。「大波高木貞宗」ともいいます。会津藩主・松平家伝来であるが、由緒は不明です。 刃長二尺二寸九分(約六九・四センチ)。表裏に樋をかいた大切先の刀。磨り上げ物で、六十枚の折紙付き、という以外不明。 参考文献:日…

【刀剣紹介】後藤行光

後藤行光 『享保名物帳』所載、相州行光の短刀です。もと金座・後藤庄右衛門広世所持でした。本刀を加藤左馬助嘉明が入手しました。宝永元年(一七〇四)の折紙は三千貫でした。以後、嘉明の嫡孫である江州水口藩主の加藤家に伝来しました。大正十四年、同家の…

【刀剣紹介】小青江

小青江 『享保名物帳』所載の刀です。加州金沢の前田家に古くからあった伝来品で、同家にはもう一振り、これより長い青江の刀があったので、それを大青江、短いほうの本刀を「小青江」と呼びました。 刃長二尺二寸二分(約六七・三センチ)、小杢目つまり地沸…

【刀剣紹介】伏見貞宗

伏見貞宗 相州貞宗作の短刀です。『享保名物帳』所載、ただし原本にはなく、後人の追記したもので、「由緒・寸尺・代付未詳」とあります。江州水口城主・加藤家伝来です。大正十四年十月、同家の売立に出品されたが、親引きになりました。のち同家を出て、昭…

【刀剣紹介】別所貞宗

別所貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗極めの脇差です。もと播州三木城主・別所小三郎長治所持でした。長治は豊臣秀吉に攻められ、天正八年(一五八〇)正月十七日落城、自殺しました。のち筑前福岡城主・黒田長政が入手しました。二代将軍秀忠が黒田邸に臨ん…

【刀剣紹介】切刃貞宗

切刃貞宗 切刃造りになった相州貞宗の作です。『享保名物帳』所載の刀です。切り付け貞宗ともいわれています。五代将軍綱吉が元禄十年(一六九七)四月十一日、紀州徳川邸に臨んだとき、世子・綱教より備前真守の太刀とともに、本刀を献上しました。以後、将軍…

【刀剣紹介】児手柏包永

児手柏包永 『享保名物帳』所載、大和手掻包永の太刀です。もと奈良の北部・奈良坂にあったのを細川幽斎が入手しました。刃長二尺七、八寸(約八一・八~八 四・九センチ)の太刀だったので、天正二年(一五七四)三月十三日、二尺二寸八分(約六九・一センチ)に…