日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

【刀剣紹介】兵庫守家

兵庫守家 丸毛光兼の佩刀、備前の畠田守家作の太刀です。光兼は長照・長住ともいい、号は不白です。兵庫頭、のち河内守と称しました。初め斎藤竜興に仕え、のち織田信長、さらに豊臣秀吉に仕え、天正十七年(一五八九)、濃州安八郡福束城主、二万石に封じられ…

【刀剣紹介】姫斬り

姫斬り 刀の異名です。 1.源頼光が唐からきた武悪太夫という名工に作らせた、朝霞の後の名です。八幡太郎義家が相伝したころは、毒蛇と改名されていました。義家が馬で宇治橋を渡っていると、突然、波の間から妙齢の美女が現われ、義家を河中に引きずり込も…

【刀剣紹介】日根野志津

日根野志津 信州高島(長野県諏訪市)城主・日根野織部正高吉の佩刀です。高吉は甲冑の大家で、日根野錣・日根野頭形・日根野饅頭などの名称が残っています。 刃長二尺二寸五分(約六八・二センチ)、反り浅く、地鉄は地沸えつき美しく、刃文は小五の目乱れで、…

【刀剣紹介】一言同田貫

一言同田貫 肥後の同田貫正国作の刀の異名です。安永八年(一七七九)十二月、旗本の窪田某が、銘を当てたら進呈する、と言って出した刀を、兵学者の平山子竜が、同田貫正国、と当ててしまいました。窪田某は、武士に二言なし、とこれを与えるとともに、「一言…

【刀剣紹介】人数国次

人数国次 阿波の細川家の重宝です。どこの国次か不明であるが、おそらく来国次の作でしょう。細川頼春が正平七年(一三五二)閏二月、楠正儀らの軍に敗れ、討死した時、たまたま家臣の町田・筒井・湯浅・河端らは、この太刀を携行し、上京中であったが、主君討…

【刀剣紹介】常陸江

常陸江 『享保名物帳』焼失之部所載、越中の郷義弘作の太刀です。もと木村常陸介重茲所持でした。常陸介は山城淀城主で、関白秀次の家老だった関係で、秀次と同罪として、文禄四年(一五九五)七月十五日、摂津茨木の大門寺で自尽しました。本刀は常陸介が豊臣…

【刀剣紹介】毘沙門形槍

毘沙門形槍 毘沙門天(多聞天)の持っている矛に似た十文字槍です。藤枝英一によれば、穂の長さは五寸五分(約一六・七センチ)、鎌の長さは三寸~三寸三分(約九・一~一〇・〇センチ)が標準で、横出した二本の鎌は、上向きになる、とするが、相州泰春の永禄十一…

【刀剣紹介】肥後江

肥後江 『享保名物帳』焼失之部所載、越中郷義弘作の太刀です。ただし無銘です。本阿弥光塔の取り次ぎで、肥後国熊本城主・加藤清正がが千五百貫で買ったものです。それで熊本江ともいいます。清正の娘(瑤泉院)は慶長八年(一六〇三)、徳川家康の命により、紀…

【刀剣紹介】樋口藤四郎

樋口藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口吉光作の短刀です。樋口はヒノクチとよむのが正しいです。泉州堺の樋口屋という商人です。もとは肥前長崎の商人といいます。樋口屋所持の本刀を、石田三成が金十三枚で買い取り、天正(一五七三)ごろ豊臣秀次へ…

【刀剣紹介】樋口正宗

樋口正宗 豊臣秀吉の遺物として慶長三年(一五九八)八月、京極高次に贈られた相州正宗の短刀です。京極正宗と同一物でしょう。樋口はヒノクチとよむのが正しいです。泉州堺の樋口屋という商人です。もとは肥前長崎の商人といいます。 参考文献:日本刀大百科…

【刀剣紹介】鎺国行

鎺国行 奥州仙台・伊達家伝来、無銘来国行の異名です。もと共鎺が付いており、それに「国行」と彫ってあったので、鎺国行の異名がつきました。天正十八年(一五九〇)六月九日、小田原城攻めの豊臣秀吉が、目赤鶴を捕えたという、伊達政宗の自慢の鷹を所望した…

【刀剣紹介】鳩丸

鳩丸 1.短刀 粟田口国綱の作です。初め花山院家の家士・岡野内匠介健則が、慶長十八年(一六一三)、徳川家康から拝領しました。元和六年(一六二〇) 六月、将軍秀忠の娘・東福門院が、後水尾天皇に入内したので、その守り刀として健則より献上しました。寛永九…

【刀剣紹介】初元結

初元結 寛文(一六六一)ごろの豊後国高田長左衛門守行作の刀の異名です。出雲国松江城主・松平出羽守斉貴が、文政九年(一八二六)二月二十五日、将軍家斉の前で元服した時、拝領したものです。初元結とは昔公家で元服の時、髪を結んだ紫色の組み紐のことだった…

【刀剣紹介】腹切り九郎次郎

腹切り九郎次郎 腹を切った相州広光です。文明(一四六九)ごろの九郎次郎広光は、広光の刀で「太田道灌が子細ニ依テ自害」したため、この異名をもって呼ばれました。道灌が上杉定正に謀殺されたのは、文明十八年(一四八六)七月二十六日のことです。「子細」と…

【刀剣紹介】花形見

花形見 刀の異名です。 刃長七寸九分(約二三・九センチ)の短刀で、差し表に素剣、裏に腰樋があって、差し表に「兼氏」と在銘、裏に「花形見」と金象嵌入る。重要美術品。花形見は花籠のこと。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】泛塵

泛塵 刀の異名です。真田幸村の差料で、紀州の高野山から出たものといい、幕末には紀州藩士・野呂某が所蔵していた脇差です。中心に金象嵌で、「泛塵 真田左衛門帯之」とあり、さらに作は宇多国次で、堀川国広が磨り上げたことも、金象嵌で入れてありました…

【刀剣紹介】般若剣

般若剣 1.島津家伝来の短刀です。十四代勝久の孫・藤野秀久が伝持していたものを、勝久の養子で、十五代目を継いだ貴久に贈ったものです。 刃長五寸八分(約一七・六セ ンチ)、波平行安の作。第二次大戦で戦災焼失。 2.奥州守山藩主・松平頼貞の作刀に、「般…

【刀剣紹介】般若太刀

般若太刀 上杉家伝来、備中の青江守次作の太刀です。長尾家時代からの伝来刀で、大般若経会のさい、撫で物に用いられたことからの称呼です。上杉謙信が陣中で戦勝祈願をする時、これを祭壇に供えていました。江戸期 になると、つねに御看経所に置かれ、毎月…

【刀剣紹介】初桜吉光

初桜吉光 周防山口城主・大内家重代の刀、というが、尼子興久の初桜と同物でしょう。吉光の作といいます。その吉光は粟田口吉光のことでしょう。大内義長は弘治三年(一五五七)四月二日、毛利元就に敗れ、長福寺に入って自殺するとき、大内家重代の歌館の茶入…

【刀剣紹介】初桜

初桜 雲州富田城主・尼子経久の三男・宮内大輔興久の佩刀、作者不明です。富田城の桜の間・柳の間に化物が出て人を悩ますので、興久が、退治してくれ、と待ち受けていると、丑三つ時に老婆が二児を連れて現れました。老婆の命で一児が興久の膝もとに来たので…

【刀剣紹介】刃折れ刀

刃折れ刀 薩摩の桐野利秋の差料、相州の清水久義の作です。利秋が明治元年五月、彰義隊との開戦の前日、単身で神田三河町(千代田区)を歩いているところを、彰義隊の鈴木隼人ら数名に襲われた時の差料です。利秋は中村半次郎と変名、薬丸自現流を修めるととも…

【刀剣紹介】蜂屋江

蜂屋江 『享保名物帳』 焼失之部所載、相州正宗作の刀です。もと越前敦賀城主・蜂屋出羽守頼隆所持でした。 豊臣秀次に献上、さらに秀吉から秀頼に伝わり、三之箱に納められました。慶長十六年(一六一一)正月、本阿弥光徳に命じて磨り上げさせ、埋忠寿斎に金…

【刀剣紹介】八幡正宗

八幡正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗作の短刀です。もと織田信長所持、徳川家康に贈りました。徳川家から、加賀の前田家に与えたとみえ、将軍家光の養女・阿智姫が、寛永十年(一六三三)十二月、前田光高に入興したとき、父の利常が豊後行平の太刀…

【刀剣紹介】拝領貞宗

拝領貞宗 水戸家が元禄(一六八八)年中、将軍家より拝領したものです。 刃長一尺一寸五分(約三五・〇センチ)余。平造り、真の棟。差し表に素剣、裏に護摩箸を彫る。地鉄は小杢目肌、地沸えつき、地景が多い。刃文は小彎れ刃崩れ、鋩子は小丸。中心はうぶ、「…

【刀剣紹介】八町念仏

八町念仏 刀の異名です。雑賀孫市こと鈴木重朝の佩刀です。月の夜、ある者を袈裟斬りにしたところ、八町も念仏を唱えながら行ったあと、倒れたという伝説のある刀です。孫市はのち徳川家康に仕え、水戸の頼房付きとなったので、幕末まで子孫の家に伝来してい…

【刀剣紹介】八樋正宗

八樋正宗 刀の異名、相州正宗の作です。初め織田信定所持でした。それから孫の信長に伝えられ、信長はこれを弟・信行の子・津田信澄に与えました。信澄は明智光秀の女婿だったので、本能寺の変で信長の三男・信孝に殺されました。その後は行方不明です。 参…

【刀剣紹介】八幡の利剣

八幡の利剣 長曽我部元親の陣刀です。真盛の作というが、真守の誤記でしょう。天正三年(一五七五)の春、元親が前夜見た夢の占いを、八幡宮の左近という神主にさせたところ、今年出陣したら、向こうところ敵なしでござろう、と答えました。喜んだ元親は酒宴を…

【刀剣紹介】上り竜信国

上り竜信国 『享保名物帳』追記所載、京の信国の大脇差です。細川忠興が豊臣秀吉に献上したもので、拵え付きの刀を入れる三之箱に入れてありました。そのとき本阿弥光徳は、押形をとっています。慶長十六年(一六一一)四月二日、徳川義直が徳川家康の使者とし…

【刀剣紹介】上り下り竜正宗

上り下り竜正宗 『享保名物帳』焼失の部所載、相州正宗の短刀です。上り竜下り竜正宗・のぼり竜正宗・のぼる竜正宗ともいいます。もと織田信長の蔵刀で、堺の津田宗及は天正八年(一五八〇)二月二十二日、信長の面前でこれを拝見しています。のち豊臣秀吉が入…

【刀剣紹介】抜け国吉

抜け国吉 『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口国吉作の短刀です。貫け国吉ともいいます。足利将軍義教が赤松満祐に殺された時、帯びていたものです。嘉吉元年(一四四一)六月二十四日、赤松邸に出かける朝、義教の腰刀が鞘走ったので、本阿弥本光になおさせま…