日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】兵庫守家

兵庫守家

丸毛光兼の佩刀、備前の畠田守家作の太刀です。光兼は長照・長住ともいい、号は不白です。兵庫頭、のち河内守と称しました。初め斎藤竜興に仕え、のち織田信長、さらに豊臣秀吉に仕え、天正十七年(一五八九)、濃州安八郡福束城主、二万石に封じられました。

その子・三郎兵衛兼利は、親吉・安習・兼頼・長隆などともいわれ、福束城主だったが、慶長五年(一六〇〇)、関原の役で西軍に属したため、八月十七日、城を棄てて逃走しました。紀州高野山にのがれ、入道して道和と称しました。のち、加賀藩主・前田利常に拾われて、禄二千石を給せられました。正保四年(一六四七)没しました。尾州徳川家の資料に、高野山より出で、とあるのは、高野山隠遁中の兼利が手放したことを言うのでしょう。それを徳川家康が入手したとみえ、その死後、形見として同家に入ったものです。

刃長二尺三寸九分(約七二・四センチ)、小板目肌に、乱れ映りがあり、刃文は蛙子まじりの丁子乱れ。中心は磨り上げて、目釘孔二個。佩き表に「備前国長船住守家」と切る。戦前、重要美術品、戦後、重要文化財に指定された。

参考文献:日本刀大百科事典