日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧

【刀剣紹介】大阪当麻

大阪当麻 『享保名物帳』所載の短刀です。織田信長の一族に織田駿河守忠政という武将がいました。のち中川八郎右衛門尉重政と改名したのは中川家の養子になったため、ともいいますが明らかになっていません。江州野州群にあった領地のことで柴田勝家と争い、…

【刀剣紹介】後藤来国光

後藤来国光 『享保名物帳』所載、来国光の短刀です。もと後藤家六代栄乗が所持していました。寛永元年(一六二四)に、代金三百枚の折紙が付きます。『享保名物帳』編集のころは、上総国大多喜城主・松平備前守正久の所持でした。 刃長は九寸二分(約二七・…

【刀剣紹介】籠手切正宗

籠手切正宗 籠手切り」という異名の由来については、越前の朝倉氏景が文和四年 (一三五五)二月十五日、京都東寺の戦のさい、敵兵の籠手を 切り落としたから、という説や朝倉孝景が大永七年(一五二七)十月二十九日に、京都の川勝寺口で、畠山勢を破ったときの…

【刀剣紹介】後藤正宗

後藤正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗の刀です。もと金座・後藤庄三郎光次の子、庄右衛門広世が所持していました。初め、本阿弥光伯が探してきて、伯父にあたる本阿弥光徳に「正宗磨上 本阿你光德(花押)」と金象嵌を入れてもらい、後藤庄右衛門に売ったも…

【刀剣紹介】後藤藤四郎

後藤藤四郎 『享保名物帳』所載、粟田口吉光の短刀です。江戸幕府の金座・後藤庄三郎光次旧蔵といいますが、後藤庄右衛門旧蔵という異論もあります。元和(一六一五)の初めごろか、本阿弥家に代付けにきたとき、当主の光室は、表の切先の刃が焼き崩れている…

【刀剣紹介】庖丁正宗

庖丁正宗 一.武州忍城主・松平家に伝来し、もと安国寺恵瓊が所持していました。恵瓊は関ヶ原で敗北後、京都の鞍馬山月昭寺や建仁寺に潜んだあと、西本願寺の家老・下間刑部卿の婿、端ノ坊明王の所に隠れていました。そのことを閑鎮という僧が徳川家康の命で…

【刀剣紹介】敦賀正宗

敦賀正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗作の刀です。もと越前敦賀城主・大谷吉継(吉隆)が所持していました。 吉継が関ケ原合戦で敗死したあと敦賀城主となった松平秀康が敦賀で入 手しました。秀康の嫡孫・光長が越後高田城主のころ、大村加トは本刀を拝見し…

【刀剣紹介】若狭正宗

若狭正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗極めの刀です。もと若狭少佐とよばれた若狭の小浜城主・木下勝俊が所持していました。勝俊は関ヶ原合戦が起こると、伏見城の総大将を命ぜられましたが、去就に迷っている勝俊を徳川家の家来たちが血祭りにしよう、とし…

【刀剣紹介】式部榊原正宗

式部榊原正宗 初め駿州付中城主・中村式部大輔一氏が所持していました。中村家は子・一忠のとき断絶しましたので本刀は同家を出ました。それを榊原式部大輔康政が入手し、徳川家康へ献上しました。寬文八年(一六六八)に七千貫、元禄(一六八八)ごろ、七百枚に…

【刀剣紹介】豊後正宗

豊後正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗極めの短刀です。もと多賀豊後守高忠が所持していました。その後の伝来は不明ですが、大阪城にあったころ、本阿弥光徳が押形をとっています。『享保名物帳』編集のころは、相州小田原城主・大久保加賀守忠方の所蔵でし…

【刀剣紹介】庖丁すかし正宗

庖丁すかし正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗極めの短刀です。刃長が七寸一分五厘(約二一・六センチ)と短く、かつ身幅が一寸三分(約三・九センチ)と広く、料理用の包丁に似ていたところから庖丁正宗とも、また爪付き護摩箸の透かし彫りがあるため、透か…

【刀剣紹介】不動正宗

不動正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗作の短刀です。京都の医師・野間玄琢の祖父は野間左衛門次郎宗安といい、織田信長に仕えていました。信長の死後は浪人となり、天正十六年(一五八八)八月五日に没しました。彫刻が巧みだったとみえ、本阿弥光二の頼み…

【刀剣紹介】早川正宗

早川正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗作の刀です。もと紀州和歌山城主・浅野幸長の家来で、早川伝右衛門という者が、江戸へ売りにきました。鞘もなく、反古紙に包んでありました。浅野家の腰物係が本阿弥光甫に見てもらったところ、光甫が、本刀は相州正宗…

【刀剣紹介】伏見正宗

伏見正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗作の短刀です。徳川家康が京都の伏見で召し上げたため伏見正宗とも、そのとき飛騨国高山城主・金森長近が取り次いだため金森正宗とも、また拵えの目貫が駒だったため駒目貫正宗とも呼ばれました。 初め二百五十枚の折…

【刀剣紹介】道意正宗

道意正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗の短刀です。泉州堺の商人・岡本道意が掘り出したもので、埋忠寿斎に金具を作らせました。そして、紀州和歌山城主・浅野幸長に売りました。浅野家から水戸の徳川家に贈ったのか、同家から将軍家へ献上しました。彫物に…

【刀剣紹介】金森正宗

金森正宗 『享保名物帳』所載の相州正宗の短刀です。三百枚の折紙付きです。慶長十三年(一六〇六)に金具を埋忠寿斎に作らせました。それを嗣子・出雲守可重に伝え、可重逝去のとき、その子長門守重頼より、父の遺物として国次の刀とともに、徳川家康に献上…

【刀剣紹介】九鬼正宗

九鬼正宗 『享保名物帳』所載の短刀です。初め、小早川隆景が所持していました。志摩国鳥羽城主・九鬼守隆の弟・五郎八は能が上手でした。慶長(一五九六)の初め、伏見城で舞ったのを賞して、無銘の短刀を与えました。その時はまだ正宗の折紙が付いていなか…

【刀剣紹介】小玉正宗

小玉正宗 『享保名物帳』所載の短刀です。尾張徳川家にあり、慶安(一六四八)年間に千貫の折紙が付きました。その後、同家の分家にあたる美濃高須藩主・松平家に贈られました。以後、同家に伝来し、昭和十年に重要美術品に指定されました。しかし戦後、本刀…

【刀剣紹介】夫馬正宗

夫馬正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗在銘の短刀です。もと豊臣の家臣・夫馬甚十郎所持としたものがありますが、甚次郎または甚二郎が正しいです。夫馬は「夫間」とも書きます。木間としたものもありますが、不間の誤写で夫間の誤記です。夫間甚次郎は豊臣…

【刀剣紹介】小松正宗

小松正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗の短刀です。前田家三代利常が正宗とみて購入、本阿弥光甫に見せたところ、それに同意したので本阿弥本家の鑑定に出しました。本家では延寿国資との鑑定でしたので、折紙をつけず、小堀遠州に金粉でただ「無銘」とばか…

【刀剣紹介】大西左

大西左 『享保名物帳』所載の刀です。初め浅野但馬守長晟の家来・大西半太夫が所持していました。大磨り上げ無銘でしたので、本阿弥光徳が大左文字と極め、千貫の折紙をつけました。それを前田利家または利常が買い上げた、といいます。そして、それを本田上…

【刀剣紹介】前田正宗

前田正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗極めの短刀です。初め、前田利家またはその嫡子・利長が所持していました。慶長六年(一六〇一)九月晦日、ニ代将軍秀忠の娘・珠姫が利長の弟・利常のもとに入輿したとき、相州小田原城主・大久保忠隣が送っていき、越…

【刀剣紹介】伊勢左文字

伊勢左文字 『享保名物帳』焼失之部に所載の刀です。刀号はもと伊勢兵部所持だったことによります。伊勢兵部少輔貞昌は薩州島津家の重臣でありますが、故実家・伊勢兵庫頭貞景の猶子になり、貞景の弟・与三郎貞興の家を継いだ人です。しかしそれは名目だけで…

【刀剣紹介】親子藤四郎

親子藤四郎 『享保名物帳』焼失之部に所載されています。初め、堺の豪商・奈良屋甚左衛門入道宗悦が所持していました。その後、石黒甚右衛門が入手しました。甚右衛門は池田利隆の臣、馬術の達人として有名なほか、剣槍にも長じていました。 さらに、豊臣秀…

【刀剣紹介】朱銘藤四郎

朱銘藤四郎 『享保名物帳』所載、粟田口吉光の朱銘入り短刀です。もと大老・酒井雅楽頭忠世の所蔵でした。元禄十二年(一六九九)八月九日に、本刀のほか来国光・当麻の短刀、藤原定家の色紙、大燈国師の墨跡を将軍綱吉に献上し、金五千両を賜りました。翌十…

【刀剣紹介】朱判正宗

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…

【刀剣紹介】岡本正宗

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…

【刀剣紹介】生駒左文字

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…

【刀剣紹介】岡山藤四郎

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…

【刀剣紹介】本庄正宗

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…