日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】式部榊原正宗

式部榊原正宗

初め駿州付中城主・中村式部大輔一氏が所持していました。中村家は子・一忠のとき断絶しましたので本刀は同家を出ました。それを榊原式部大輔康政が入手し、徳川家康へ献上しました。寬文八年(一六六八)に七千貫、元禄(一六八八)ごろ、七百枚になりましたが、折紙の日付は宝永三年 (一七〇六)卵月三日になっていました。将軍家を出て、さらに売物にでた経緯は不明ですが、正徳(一七一一)年間に、奥州白河城主・松平基知が、二千三百七十五両二朱という高価で買い入れました。当時領内では重税に苦しむ農民が、しばしば訴訟を起こしていました。その度に厳罰をもって弾圧していましたが、ついに享保四年(一七一九)には百姓の怒りが爆発して、大一揆に発展しました。そうした不名誉極まる事態を惹起した原因の一つに、この正宗購入もあったはずです。以後、同家に伝来し、昭和十年に重要美術品指定されましたが、同二十年戦災焼失しました。

刃長は二尺二寸一分五厘(約六七・一センチ)。『享保名物帳』に二尺二寸七分五厘(約六八・九センチ)とあるのは誤り。表裏に棒樋をかく。物打ちのちり角に一ヶ所切り込みがあり、敵の刀の刃が食い込んでいる。他にもう一ヶ所切り込みがある。地鉄は大板目に荒めの地沸えつく。刃文は沸え出来の小乱れ。横手下に表裏とも富士山に似た格好の打ち除けがある。鋩子は小乱れ、焼き詰め。中心は大磨り上げ無銘で、目釘孔三個。これには葵紋入りの太刀拵え二腰のほか、信家の鐔、津尋甫の金具つきの打刀拵えもついていた。

参考文献:日本刀大百科事典