【刀剣紹介】不動正宗
不動正宗
『享保名物帳』所載、相州正宗作の短刀です。京都の医師・野間玄琢の祖父は野間左衛門次郎宗安といい、織田信長に仕えていました。信長の死後は浪人となり、天正十六年(一五八八)八月五日に没しました。彫刻が巧みだったとみえ、本阿弥光二の頼みで本刀に不動明王の像を彫りました。それを豊臣秀次がみて惚れこみ、五百貫で光二から召し上げました。秀次が中納言時代のことといいます。すると、天正十三年(一五八五)六月から、同十九年(一五九一)十二月に至る間のことになります。秀次は本刀を徳川家康に贈りました。家康はさらに前田利家に贈りました。利家から嫡子の利長に伝わりました。利長が没し、その弟の利常が家督相続すると、その挨拶として慶長十九年(一六一四)九月十六日、利常は家康を駿府にたずね、兄の遺物として備前三郎国宗の刀と不動正宗の短刀を献上しました。家康は本刀を尾州名古屋城主・徳川義直に与えました。
刃長は八寸二分五厘(約二五・〇センチ)で、わずかに筍反りとなり、平造り、真の棟。差し表に櫃のなかに滝不動明王の彫りがある。不動国行も不動正宗と同じ構図であるから、両刀とも野間宗安の手に成ったものだろう。裏には護摩箸を彫る。地鉄は板目肌で、地沸えつくが、砥ぎ減りで黒い肌まじる。刃文は彎れ乱れに、掃き掛けかかる。鋩子は火炎風に尖る。中心はうぶ。目釘孔二個。その上に「正宗」と二字に切る。
参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「不動正宗」