日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】前田正宗

前田正宗

享保名物帳』所載、相州正宗極めの短刀です。初め、前田利家またはその嫡子・利長が所持していました。慶長六年(一六〇一)九月晦日、ニ代将軍秀忠の娘・珠姫が利長の弟・利常のもとに入輿したとき、相州小田原城主・大久保忠隣が送っていき、越前金津で前田家に引き渡しました。その労を謝して、利長から忠隣に本刀を贈りました。忠隣は本刀を三男の右京亮教隆に与えました。その子・右京亮教勝は、正保二年(一六四五)、本刀に七千貫(三百五十枚)の折紙をつけ、三百八十五枚で江州彦根城主・井伊直孝に売りました。

直孝が万治二年(一六五九)六月二十日に死去すると、嫡孫承祖で藩主になった直澄が翌月二十六日、祖父の遺物として将軍家綱に献上しました。将軍綱吉の娘で、紀州徳川綱教夫人になっていた鶴姫の天然痘が快癒した、というので将軍綱吉が生母や夫人を伴って元禄十四年(一七〇一)三月十八日、紀州徳川邸に臨んだ時、粟田口吉光と来国行の刀とともに、本刀を綱教に与えました。以後、同家に伝来していましたが、昭和八年頃、同家を出たようです。

刃長は九寸五分(約二八・八センチ)で平造り、真の棟。差し表に梵字二個、裏に護摩箸がある。地鉄は板目肌流れ、地沸えつく。刃文は直刃、少し彎れがかり、ほつれ、匂い口締まる。鋩子は小丸、返りはかなり深い。中心はうぶ、目釘孔二個。無銘であるが、本阿弥光徳が相州正宗と極めたもの。

参考文献:日本刀大百科事典

写真:刀剣名物帳「前田正宗」

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