【刀剣紹介】庖丁すかし正宗
庖丁すかし正宗
『享保名物帳』所載、相州正宗極めの短刀です。刃長が七寸一分五厘(約二一・六センチ)と短く、かつ身幅が一寸三分(約三・九センチ)と広く、料理用の包丁に似ていたところから庖丁正宗とも、また爪付き護摩箸の透かし彫りがあるため、透かし正宗とも呼びます。
本刀は初め、名古屋の古道具屋で十疋つまり銀十五匁で買い入れたものです。買い主の記述はありませんが、おそらく本阿弥家の者でしょう。その後、会津若松城主・蒲生忠郷の秘蔵とするところとなりました。蒲生家が寛永四年(一六二七)に、忠郷の早世により断絶すると、領内の三春城は内藤帯刀忠興が預かることになりました。おそらくそのとき、本刀は蒲生家から内藤家に移ったものでしょう。『享保名物帳』の編集当時は、すでに奥州岩城の平城主になっていた、内藤右京亮義稠所蔵でした。ただし、厳密にいえば義稠は享保三年(一七一八)五月に死去し、その養子・備後守政樹の代になっていました。
政樹が延享四年(一七四七)に日州延岡城主に転じると、そのまま明治維新を迎えました。すると、本刀は早く同家を出たとみえ、日清戦争の頃は東京深川区木場の鹿崎某の所蔵でした。その後、井上馨侯爵が入手し、昭和十二年、国宝に指定されました。現在では同家を出ています。
地鉄は大肌のなかに、小板目肌よく詰まり、地沸え厚くつき、地景まじる。刃文はもと小乱れ、先は五の目乱れ、盛んにほつれる。鋩子は乱れ込んで尖る。目釘孔一個、無銘。
参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「庖丁すかし正宗」