2018-10-19から1日間の記事一覧
太栰正宗 羽州米沢城主・上杉景勝の嗣子・定勝が、元和九年(一六二二)正月十三日、元服のとき、将軍秀忠より拝領した、相州正宗の太刀です。刃長二尺一寸一分(約六三・九センチ)、景勝三十五腰の一です。最後の藩主・上杉茂憲は明治元年、初め官軍に抗したが…
二見左文字 細川幽斎の佩刀です。大磨り上げ無銘であるが、筑前の左文字の極めで、元禄元年(一六八八)千五百貫の折紙付きです。 刃長二尺三寸六分(約七一・五センチ)。刃文は浅い五の目乱れで、鋩子掃き掛ける。中心は目釘孔三個。 参考文献:日本刀大百科事…
放下通し吉光 粟田口吉光作の槍の異名です。若州氏家家蔵でした。 裏は平造りで、棒樋をかくが、表は不明。刃文は直刃。「吉光」と在銘。放下師を突き通したための異名であろう。 参考文献:日本刀大百科事典
豊後来国次 『享保名物帳』追記之部所載、来国次作の短刀です。豊臣秀吉から豊後の大友に下さる、というから、大友宗麟が天正十四年(一五八六)四月、大坂にのぼり秀吉に援助を乞うた時、秀吉は脇差を与えています。それがこの来国次のはずです。徳川家康が文…
鳳凰丸 南朝の忠臣・北畠親房家伝来の太刀です。 刃長二尺八寸(約八四・九センチ)。親房は吉野の賀名生の行在所に、これを携行していた。これを大炊御門冬信の佩刀、とするのは誤り。 参考文献:日本刀大百科事典
福島光忠 『享保名物帳』所載、備前長船光忠作の太刀です。もと福島正則の佩刀です。正則の四男・正利が寛永元年(一六二四)七月十三日、父の遺物として将軍に献上した「大光忠」とは、本刀のことでしょう。『享保名物帳』編集のころ、常州茨城郡宍戸(茨城県…
不動丸 大久保石見守長安の刀です。武州下原照重の篆書体の銘で、刃長二尺一寸六分(約六五・四センチ)の刀に、「比刀去慶長ノ頃大久保石見守 号不動丸□指領タリ 爾後三拾余年ヲヘテ正保内皮曆 甲府在番ノ時 不計為得求之 渡辺久左衛門尉源朝臣善光所持」、と…