日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】伊勢左文字

伊勢左文字

享保名物帳』焼失之部に所載の刀です。刀号はもと伊勢兵部所持だったことによります。伊勢兵部少輔貞昌は薩州島津家の重臣でありますが、故実家・伊勢兵庫頭貞景の猶子になり、貞景の弟・与三郎貞興の家を継いだ人です。しかしそれは名目だけで、依然として島津家に仕え、知行二千五百石をはんでいました。慶長五年(一六〇〇)に関ヶ原合戦が勃発すると、日向では伊東家の重臣・稲津掃部祐信が東軍に与し、西軍の島津領に攻撃をかけてきました。そのとき伊勢兵部はこの左文字を帯びて鎮圧にむかい、大功をたてました。晩年になると、幕府からも米五百俵を給せられました。寛永十八年(一六四一)四月三日に七二歳で没しました。

いつ伊勢家を出たかは不明ですが、正保三年(一六四六)には加賀前田利常から本阿弥に鑑定に来ました。それまでは七十五枚だったものが一躍、百三十枚に上がりました。元禄十五年(一七〇二)四月二十六日に、将軍綱吉が前田邸に臨んだとき、世子吉徳より将軍に献上されました。その後、火災により焼失しました。

刃長二尺三寸五厘(約六九・八センチ)で、差し表の小鎬に大きな疵、区より一寸(約三・〇センチ)ほど上にふくれがあった。差し裏は横手より三寸(約九・一センチ)余下、刃先に疵があった。中心は少し磨りあげ。一面は鑢をかけてあったが、他面はかけてないので古鑢が残っていた。金象嵌で「左文字」と入れてあった。

参考文献:日本刀大百科事典