宗近
山中鹿之介の刀 中国の尼子氏の忠臣、いわゆる尼子十勇士の随一・山中幸盛所持の刀です。その第一は、新身国行でした。 そのほかに、「宗近」と在銘、二尺二寸八分(約六九・一センチ)の太刀で、直刃が少し乱れ、そのなかに半月形の打ち除けがあったので、半…
淀屋辰五郎の刀 元禄(一六八八)ごろ、大坂の豪商として知られた淀屋辰五郎所蔵の刀です。淀屋の五代目で、正しくは三郎右衛門といいます。宝永二年(一七〇五)五月、分を越えた豪奢や詐欺の罪をもって、闕所・所払いの刑に処せられました。 その時の没収品中…
白鳥の槍 下野国宇都宮(栃木県)の城主・奥平千福、のちの忠昌が八歳の少年ながら、徳川家康の外孫であるため、元和二年(一六一六)三月、家康の病気見舞に行った時、拝領した白鳥毛鞘の槍です。同家では代々持槍にしました。穂は三寸(約九センチ)の短槍で、三…
半月丸 尼子家の忠臣山中鹿之助の佩刀と伝えられる三条宗近在銘、二尺二寸八分(約六九・一センチ)の太刀の異名です。少し乱れた直刃に、半月形の打ち除けがあるための命名です。 参考文献:日本刀大百科事典
不動宗近 三条宗近作の太刀です。越後国蒲原郡奥山庄(新潟県北蒲原郡中条町・黒川村)の豪族、城太郎貞重(貞成の誤り)は、黒川村館の不動尊に宗近の太刀を奉納しました。その子孫の城太郎資持(小太郎資盛の誤り)は、建治元年(一二七五)四月、中条の鳥坂城によ…
鷹の巣宗近 『享保名物帳』所載、三条宗近作の脇差です。 大木の上に光を放つものがあるので、登ってみたところ、鷹の巣の中にこの刀がありました。鷹の子を取ったあとに、刃物を入れておくことがあったからです。それは豊臣秀吉のころだったので、本阿弥光…
日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…