日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】海老名宗近

日本の美、日本刀

まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。

海老名宗近

享保名物帳』焼失之部所載の脇差です。「海老名」という刀号の由来は不明ですが、室町幕府の要職に海老名姓の者がかなりいます。それに関連のある異名だろうと考えられます。足利将軍義政は毎年正月中、本刀を指していました。

刃長は一尺二、三寸(約三六・四~三九・四センチ)で柄・鞘入れての総長は一尺五、六寸(約四五・五~四八・五センチ)あった。柄も鞘も梨地塗り、金具はすべて赤銅、目貫は桐の丸焼き付け、笄は桐紋だった。

その後、三好長慶の有に帰したとされ、その長男・筑前守義長が永禄四年(一五六一)三月三十日、将軍義輝を自邸に招待したときに本刀を献上しています。それを織田信長が入手したのでしょう。信長の孫にあたる織田秀信が所持していました。さらに豊臣秀吉に献上したとされ「大阪御物」のなかに入っています。しかし『本阿弥光徳刀絵図』にある「御物こかぢ」は海老名宗近ではありません。まず刃長が海老名宗近は一尺一寸二分(約三三・九センチ)であるのに「御物こかぢ」は九寸八分(約二九・七センチ)しかありません。さらに海老名宗近は平造りで、刀樋に添え樋があり、目釘孔は二個ですが「御物こかぢ」は切り刃造りで、彫刻は全然違いますし、目釘孔も四個あり別物であることは明白です。「御物こかぢ」は現在、徳川美術館にありますが、海老名宗近は大阪落城のさい、焼失したのでしょう。現在は所在不明です。

参考文献:日本刀大百科事典

写真:刀剣名物帳「海老名宗近」

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