【刀剣紹介】綱切り
綱切り
太刀の異名です。
1.『享保名物帳』焼失之部所載、筑紫正恒作の太刀です。佐々木高綱が寿永三年(一一八四)正月二十日、宇治川先陣のさい、河中に張った綱を切ったという太刀です。縄切りとも書きます。その後、桜田十郎が所持しました。明徳三年(一三九二)八月二十八日、京都の相国寺供養のさい、高綱の子孫・佐々木満高が佩用しました。弘治(一五五五)ごろも同家にありました。その後、徳川将軍家にあったが、明暦三年(一六五七)の大火で焼失しました。
刃長二尺四寸六分(約七四・五センチ)、表裏に樋をかく。作者については筑紫正恒のほかに、 備前正恒、備前行秀、三条吉家、豊後定秀とする異説がある。
2.安芸の厳島神社の社家・棚守家蔵、佐々木高綱所持でした。のち同社の社家・野坂家に伝来したのが、一族の棚守家に入りました。作者はアヲノ太刀というが、アヲエノ太刀つまり備中青江の太刀でしょう。
3.肥後人吉の相良家蔵。承久三年(一二二一)六月、宇治川合戦のとき、相良長頼が河中に張った網を切ったものです。
刃長二尺六寸三分(約七九・七センチ)、刃文は佩き表、もと丁子乱れ、さき直刃、裏はもと丁子乱れ、さき小乱れとなる。古備前「宗吉」と二字銘。
4.薩摩の島津家蔵です。島津忠時が承久三年(一二二一)六月、宇治川合戦のさい、河中に張った綱を切ったという刀です。以後、代々同家のお譲り道具となりました。
刃長一尺七寸八分(約五三・九センチ)。五条「兼永」と二字銘。
5.由緒不明の綱切りです。粟田口国縄(綱)の作、という以外不明です。
参考文献:日本刀大百科事典