【刀剣紹介】安宅貞宗
日本の美、日本刀
まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。
安宅貞宗
というのは、雪が水のうえに降って消えるのは吸い込まれるようだから、刀が吸い込まれるように切れることを意味しています。刀号の由来は『享保名物帳』によれば、岩成主税助友通が安宅摂津守冬康を本刀で切ったから、といわれています。冬康は永禄七年(一五六四)五月九日、兄・三好長慶方の刺客によって殺されました。その刺客が岩成主税助ということになります。
しかし『本阿弥光柴押形』によれば、三好山城守入道笑岩が、安宅甚八郎一倍を斬ったから、となっています。安宅甚八郎は冬康の子かもしれません。史上に名の現れない人を挙げているところを見ると、この説が真実なのかもしれません。笑岩は早くから豊臣秀吉に款を通じて(親しくして)いたため、本刀を豊臣秀吉に献上したのでしょう。秀吉は前田利家の邸に臨んだ時に本刀を授けました。それをまた秀吉に献上したとされ、慶長三年(一五九八)六月二日、小早川秀秋に与えました。
秀秋はよほど気に入ったのか金象嵌を入れさせました。その後、徳川将軍の宝庫に入りましたが、明暦三年(一六五七)の大火で焼けたとみえ『享保名物帳』では「焼失之部」に入れてあります。しかし、『本阿弥光柴押形』や『本阿弥光温刀譜』からその面影を知ることができます。
佩き表は切り刃造りで、素剣・鍬形・蓮華・梵字・二筋樋を彫る。裏は鎬造りで、素剣・梵字・刀樋に添え樋がある。刃文は彎れに五の目まじり。中心は大磨り上げ無銘、金象嵌が入る。
参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「安宅貞宗」