【刀剣紹介】芦屋正宗
日本の美、日本刀
まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。
芦屋正宗
『享保名物』の短刀です。由来は『享保名物帳』にもなく『島津家刀剣目録』にも「由緒不明」とあります。しかし、島津家久は元和二年(一六一六)四月八日、死の床にあった徳川家康より「ていや正宗」の脇差を拝領しました。しかし、それは本阿弥家の控えに「藁屋正宗」と記されていたようです。藁屋は蘆屋の誤記に違いありません。鞘書に正しく「蘆屋正宗」とあるためです。
刃長は『享保名物帳』に八寸五厘(約二四・四センチ)とあるが実際はそれより一寸(約三センチ)長い。差し表に素剣、裏に護摩箸を彫る地鉄は板目肌、刃文は浅い大五の目乱れが彎れ風(のたれふう)になる。両方のふくらの下は刃が細くなって染み、護摩箸より上も刃先は染みる。鋩子は掃きかけ焼き詰め風。
元禄十年(一六九七)に「正宗 本阿(花押)」と朱銘を入れましたが、現在は大部分が消えています。これには三葉葵紋付の短刀拵えがつきます。昭和三年の売立で島津家を出ました。
参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「芦屋正宗」