日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】池田光忠

日本の美、日本刀

まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。

池田光忠

『享保名物帳』所載の刀です。摂津国池田の領主・十河左衛門一存の所持、といいますが一存は讃岐国十河城主であり、池田城主だった事実はありません。池田城は、池田筑後守長正が永正十六年(一五一九)に細川澄元から与えられたところで、一存が永禄四年(一五六一)に落馬して死亡したころ長正は依然健在でした。すると、摂津国池田は阿波国池田の誤りでなければなりません。一存の十河は養家の姓であり、実家の三好家は阿波国池田城主だったからです。この光忠に実家の姓を冠しているのは、おそらく池田城に伝来していた刀のためでしょう。
『名物帳』によっては「水戸殿へ被進」と付記したものがあります。これは将軍家から水戸家へ贈った、という意味です。なお「紀伊殿より御家へ参り候訳は不知」と付記したものもあります。十河家は一存のあと養子の存保、その子存英と、なおニ代続いています。その間に転々として徳川家康の許に来たので、水戸頼房に与えたのでしょう。『端亭漫録』にも「源威公様御譲」とあります。源威公とは頼房のことです。なお「御平太刀」とあるため、平造りの小太刀だったことになります。
刃長は一尺九寸四分(約五八・八センチ)とありますが『名物帳』ではそれより一分(約〇.三センチ)短いとされています。大正十二年、関東大震災のさい水戸家の小梅別邸で焼失しました。

参考文献:日本刀大百科事典