【刀剣紹介】青木郷
日本の美、日本刀
まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。
青木郷
越中の郷義弘作の刀の異名で、もと「青木兼元」所持の青木一重の秘蔵です。老齢に及び、徳川家康に献上されました。寛永二年(一六二五)とその翌年に将軍秀忠は、これを甥にあたる和州郡山城主・松平忠明が初めてお国入りするときに与えました。
その子孫である武州忍城主・松平家では大正三年、名物の大般若長光や包丁正宗などとともに、業者に売却しました。同十一年にそれと知らずに雑誌『刀剣と歴史』主幹・高瀬羽皐が入手し、由来不明のため、自らの鑑定で中心に「春雨江 羽皐所持」と金粉銘を入れました。のちに、松平家の青木江とわかり「青木江」と鞘書しました。戦後、アメリカに渡りました。
刃長二尺二寸八分(約六九・一センチ)余、表裏棒樋をかく。刃文はもと小乱れ、中ほど大乱れ、先のたれとなる。無銘。
参考文献:日本刀大百科事典