【刀剣紹介】大青江
大青江
『享保名物帳』所載の刀です。越中富山の前田家所伝によれば、もと上杉謙信所持で上杉景勝から前田利家に贈ったものといいます。長すぎたので本阿弥光室に磨り上げさせ「貞次磨上之 本阿(花押)」と金象嵌を入れさせました。千貫の折紙がついたのも、この時でしょう。小松中納言、つまり前田利常は正保二年(一六四五)閏五月二日に、本刀を次男で越中百塚十万石の領主だった淡路守利次に与えました。利次はのち富山城に移り、富山前田家の祖になりました。光室の孫にあたる本阿弥光和は本家と相談すれば千四百貫になる、と言っていたがそのままでした。
『享保名物帳』編集の頃は富山の前田家にありましたが、幕末には本家、つまり金沢の前田家に行っていたと見え、文化九年(一八一二)三月、本阿弥重郎左衛門が本家の刀のお手入れをしたときの記録に載っています。その後、また富山に返されたと見え、明治になると富山前田家の名義になっています。戦後、同家を出て、現在は重要文化財に指定されています。
刃長は二尺五寸六分(約七七・六センチ)で豪壮な刀で物打ちには切込みがある。地鉄は小板目肌、地沸えつき、澄肌まじる。刃文は彎れ心の広直刃に、逆乱れ・逆足まじる。中心は目釘孔二個、前田家にはもう一振り、これより三寸四分(約一〇・三センチ)ほど短い青江の刀があったので、これを『大青江』と名付けたものである。貞次でもこれは後の貞次という。
参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「大青江」