日本刀の世界 ~日本の様式美~

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【刀剣紹介】布袋国広

布袋国広

唐の布袋和尚の像を彫った堀川国広脇差です。

1.刃長一尺二寸五分(約三七・九センチ)、平造り。差し表に羂索と梵字、裏に太い樋のほかに、月とそれを指した布袋の像を浮き彫りにする。地鉄は杢目肌強く、刃文は五の目乱れ。中心に「国広」と二字銘。黒田元侯爵家蔵。

2.刃長一尺三分(約三一・二センチ)、平造り。差し表に杖、裏に袋にもたれた睡り布袋和尚の像と、「夢香梅里多」と彫る。地鉄は杢目肌に地沸えつく。刃文は五の目乱れ。中心の表に「日州住信濃守国広作」、裏に「天正十八年八月日 於野州足利学校打之」と在銘。もと好事家として知られた津軽屋こと松原三右衛門所蔵。

同家から借りてきて、天保十年(一八三九)の正月、幕府の儒官・林述斎が、肥前平戸の前城主・松浦静山に見せました。その時の話によれば、刀身の文字は、足利学校の校長・三要の筆、布袋は国広自身の像で、国広はかつて人をあやめたことがあるので、その死者の冥福を祈るため、このような彫物をしたといいます。文字を三要閑室の筆と見るのは、当を得ているが、その他は後人の付会でしょう。

刀身の文字は、「夢ハ香シ梅里多」とよみます。梅里多は略して梅里ともいいます。正しくは梅多里・梅咀利・梅怛黎・梅咀利耶などと書き、梵語「Mait-reya」の音写で、弥勒菩薩のことです。布袋和尚は中国の唐代の人で、号を布袋と称しました。遷化する時の偈に、「弥勒真ニ弥勒 分身百千億 時々、時人ニ示スモ 時人ハ自ラ識ラズ」(原漢文)、とあるため、世人は布袋を弥勒菩薩の化身と考えるようになりました。

そのため、国広は布袋の像の上に、「梅里多」つまり弥勒菩薩と彫ったものです。差し表に彫った杖は、袋を担ぐためのものであって、それが蛇のまつわりついたようになっているのは、僧万里の「布袋賛」 に、「放下ス、化竜ノ杖」とあるように、竜が化してなったもの、とされているからです。

参考文献:日本刀大百科事典