2018-10-20から1日間の記事一覧
吉田山城来国光 駿河御分物として尾州徳川家へ分与された脇差です。拵え付きで、金二十五両の折紙つきます。古田山城とは、茶人で、一万石の領主だった吉田織部正の子で、名は重嗣です。織部正が豊臣秀頼に内通していたとして、元和元年(一六一五)六月十一日…
不動宗近 三条宗近作の太刀です。越後国蒲原郡奥山庄(新潟県北蒲原郡中条町・黒川村)の豪族、城太郎貞重(貞成の誤り)は、黒川村館の不動尊に宗近の太刀を奉納しました。その子孫の城太郎資持(小太郎資盛の誤り)は、建治元年(一二七五)四月、中条の鳥坂城によ…
俘囚剣 俘囚の帯びた剣、またはその様式の剣です。白河法皇が天治元年(一二二四)十月、紀州の高野山へ行幸のさい、左衛門督藤原朝臣がこれを帯びていたので、人々に奇異の感を抱かせたといいます。奥州の安倍氏や平泉の藤原氏時代、領内の鍛治は、いわゆる俘…
風雷神虎徹 風神と雷神の彫物のある長曽祢虎徹の脇差です。明治中期、東京浅草の北岡文兵衛所蔵でした。それから西垣四郎作・松平頼平子爵を経て、高橋箒庵入手しました。それを犬養木堂に贈りました。昭和十三年犬養健の名義で、重要美術品認定されました。…
豊後来国光 寛永十八年(一六四一)八月、後の四代将軍家綱の誕生を祝して、勢州桑名城主・松平定綱が献上しました。本阿弥家の金八枚の折紙付きです。のち家綱はこれを陣刀にし、目貫・縁・鍔に葵紋を据えました。寛文三年(一六六三)正月、老中の阿部豊後守忠…
二筋樋正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗極めの短刀です。もと山名弾正所持といいます。山名家は山陰の豪族で、五代宗全のごときは、かの有名な応仁の乱の総大将でさえありました。山名家は初代・時氏を始め、弾正少弼を名乗った人が多いから、「山…
福島兼光 『享保名物帳』追加之部所載、備前長船兼光作の太刀です。福島正則が広島城主だったころ、城下の本国寺(日蓮宗)の住持を処罰しました。その後、本刀が同寺にあることが分かり、正則が没収し、自分の佩刀にしたもの正則は元和元年(一六一五)城地を没…
飛竜丸 刀の異名です。京都の商人・瀬尾家伝来です。同家はもと土佐の住人で、長曽我部氏より拝領の飛竜丸という、伯耆安綱の太刀が伝来していました。明治初年、当主が道楽者で、飛竜丸も売り飛ばして、酒色に換えることを恐れたその母の未亡人は、時の京都…