【刀剣紹介】俘囚剣
俘囚剣
俘囚の帯びた剣、またはその様式の剣です。白河法皇が天治元年(一二二四)十月、紀州の高野山へ行幸のさい、左衛門督藤原朝臣がこれを帯びていたので、人々に奇異の感を抱かせたといいます。奥州の安倍氏や平泉の藤原氏時代、領内の鍛治は、いわゆる俘囚鍛治です。そのうち、雄安や光長の刀は鎺の少し上から急に反り、その先は無反り、鎬は中程に寄り、中心は短く、かつ薄くて細い、と古剣書にあります。
この作風は、坂上田村麻呂の討伐で滅びた、悪路王の太刀として、平泉の中尊寺金色堂にある藤原氏三代の棺内から、元禄十二年(一六九九)に取り出されたものに似ています。悪路王の太刀は、柄に毛抜き形の透しがあって、いわゆる蕨手刀の形式になっています。俘囚剣は蕨手刀のように、毛抜き形の透しがあったのか、それとも古剣書の記述のように、透しはなかったのか明らかではありません。
参考文献:日本刀大百科事典