日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】浮田志津

日本の美、日本刀

まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。

浮田志津

『享保名物帳』所載の短刀です。これは初め久留米藤四郎、つまり久留米侍従とよばれた筑後久留米城主・小早川藤四郎秀包の所持でした。その後は、本阿弥光務の談によれば尾張大納言義直をへて、宇喜多秀家の有に帰しました。『享保名物帳』に秀家から義直に渡ったように書いてあるのは誤りです。秀家は関ヶ原合戦で秀包とともに西軍だったため、慶長十一年(一六〇六)四月、八丈島に流罪になりました。その時、本刀を徳川家康に献じました。
寛永五年(一六二八)正月、因州鳥取城主・池田新太郎光政が、将軍秀忠の孫、つまり千姫の娘と結婚した時、秀忠より本刀を拝領しました。池田家では本刀に折紙をつけていませんが、本阿弥光由は千五百貫か百枚つく、と評価しています。なお、元禄五年(一六九二)六月十一日、本阿弥光常も拝見したといいますが、おそらく砥ぎにきたのでしょう。爾来、池田家の所蔵となっていましたが、明治二十四年十一月、池田章政侯爵から宮内省に献上され、今日に至っています。
刃長は八寸二分五厘(約二五・〇センチ)で平造り、差し表に素剣、裏に腰樋に添え樋を彫る。地鉄は小板目肌、地沸えつく。刃文は浅い小彎れ刃、先は五の目乱れとなる。中心は目釘孔三個。無銘。

参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「浮田志津」

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