日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】手鋒の太刀

手鋒の太刀

豊後の豪族・緒方家重代の太刀です。不抜の太刀の前名です。手鋒というのは、切先のほうが両刃になっていたからでしょう。緒方家の先祖・惟基が承和七年(八四〇)庚申の日、禁衛に当たりながら昼寝をしている隙に、雅楽助という公家が、惟基の太刀を抜いて見ようとしたが、抜けませんでした。あれは偽刀だから、そのことをばらしてやろう、と考えた雅楽助は、今夜、天から何やら降って来るそうだ、と言い触らしました。

それを耳にした仁明天皇は、その退治は、惟基にやらせるよう、と命じられました。夜になって庭に出てみると、錦に包まれた棒が立ててあります。見ると、中は竹で、その中に鉄棒が入れてありました。その悪計を見破った惟基が怒って、暴れ出したので、天皇から流罪をいい渡されました。そうこうしているところに、禁中に火事が起こりました。惟基は佩刀を抜いて、大門の扉を切り開き、消火に大きな手柄をたてました。それで流罪から一転して豊後守に任命され、九州へ下向しました。殊勲の手鋒の太刀を、それから不抜の太刀と呼ぶようになりました。

緒方氏の一族である佐伯氏の末孫で、伊勢の津藩士だった佐伯家に、手鉢と称するものが伝来していました。同家では、惟基五代の孫・惟義が、宮中で前記のような騒動を起こしたとし、その刀がずっと伝来し、大正十二年の関東大震災で焼失したが、焼け身のまま保管されているといいます。しかし、緒方氏の古い伝説については、後世の付会と思われるものが多いので、手鋒の太刀の伝説も、どの程度信じてよい かわかりません。

参考文献:日本刀大百科事典