日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】濡れ衣

濡れ衣

刀の異名です。

1.大口屋暁雨の差料

暁雨は江戸中期、侠客として、また十八大通の一人として有名な札差です。雨降りの夜、蔵前から吉原へ通う途中、聖天町(台東区浅草七丁目)の西方寺(俗称 土手の道哲)付近の土手で、鉦をならし念仏を唱えている道心坊主を見かけました。それが早く死にたい、好きな饅頭を腹いっぱい食べて、といいます。暁雨は吉原の仲の町にいって、松屋から饅頭を買ってきて、道心坊主に腹いっぱい食べさせたのち、腰の一刀で、濡れた衣の上から、袈裟斬りに両断しました。

刃長二尺三寸(約六九・七センチ)くらい、備前物だったが、刀銘は不明。

それを「濡れ衣」と命名しました。安永(一七七二)ごろ、大口屋は伊勢屋宗三郎へ譲りました。三代宗三郎の息子が刀六振りを、花川戸町の丸上という質屋に入れ、金六両を借りて、流してしまいました。そのなかに濡れ衣が混じっていたので、その後は行方不明になりました。

2.臂の久八の差料

寛文(一六六一) ごろ、神田須田町にいた久八という侠客が、聖天町の西方寺付近の土手で、道心坊主を斬った刀です。その坊主は、足腰も立ちません、早く死なせて下さい、と泣き言をいいながら、袖乞いしていました。久八は吉原へ行く途中、浅草寺前で餅を買って、その坊主に与えたのち、吉原に行きました。帰りがけに、今も死にたいか、と問いかけると、いずれも傷つかずに死にとうでざる、と答えました。傷つかずに死ねるか、と久八が怒って大脇差を抜くと、足腰立たぬといっていたのが、急に駆け出しました。久八は追っかけ、後から一刀両断しました。そのとき雨がふり、坊主の衣が濡れていたので、大脇差を「濡れ衣」と名付け、秘蔵していました。

参考文献:日本刀大百科事典