日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】石野正宗

日本の美、日本刀

まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。

石野正宗

『享保名物帳』焼失之部に所載の刀です。もと石野八兵衛氏置が所蔵していました。氏置の父・越後守氏満は加賀の前田藩士でしたが、妻が摂津国三田城主・有馬中務少輔則頼の女だった関係で、長男の氏置は幼い時から祖父則頼の許で育てられ、のちに徳川家康に仕え、三千五百十石をうける身になりました。本刀は、氏置が慶長十七年(一六一二)十月九日死去すると、おそらく形見として有馬家に贈られたのでしょう。有馬家当主・玄蕃頭豊氏は、後年さっそく埋忠寿斎に命じて、二尺三寸二分(約七〇・三センチ)に磨り上げさせ、かつそれにつける金具を造らせました。二百枚の折紙もつけました。さらに元和元年(一六一五)八月二日にその子・中務少輔忠頼は「正宗磨上 光徳(花押) 有馬中務少輔所持」と埋忠明真に金象嵌を入れさせました。忠頼が明暦元年(一六五五)三月二十日に逝去すると、その遺物として本刀と粟田口吉光の短刀を将軍に献上しました。太い樋を中心先までかき通し、豪壮な刀でしたが、その二年後に振り袖火事の厄にあい焼失しました。

参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「石野正宗

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