【刀剣紹介】血吸いの剣
血吸いの剣
薩摩島津家伝世の宝剣です。島津家十四代・勝久は、守護職を貴久に譲ったあと、八幡十の太刀・般若の剣・宗近の太刀とともに、本剣を抱いて豊後に流寓していたが、天正元年(一五七三)十月十五日客死しました。勝久の孫・秀久は剃髪して怨世と称し、日州庄内松山(鹿児島県曽於郡松山町)の蓮華院住職となりました。出家の身に武器は不要なので、祖父より譲られた血吸の剣など、三刀を貴久の子・義久に献じ、以来、同家の重宝となっていました。今次大戦の戦火で焼失しました。
刃長六寸二分五厘(約一八・九センチ)、弘法大師の作と伝えられ、中心に「宝剣」と金象嵌入り。錦・切羽・鍔・縁頭・鯉口・逆輪・小尻・目貫はすべて金無垢。鞘は金梨地という豪華なものだった。
参考文献:日本刀大百科事典